2012年11月29日木曜日

アンケート調査の結果

 前回のブログで書いた通り、僕の通う学校の生徒全員に、将来つきたい仕事についてアンケート調査をしました。結果は以下の通りです(小さい学校で生徒数も少ないです)。


 
医者
軍人
エンジニア
その他
五年生
二人
二人
一人
一人
六年生
二人(僕を含む)
三人
〇人
二人
中学一年生
一人
〇人
二人
二人
中学二年生
二人
一人
一人
一人
中学三年生
〇人
〇人
二人
〇人

↑は男子

 

 
医者
看護師
エンジニア
その他
五年生
二人
一人
一人
二人
六年生
〇人
二人
一人
二人
中学一年生
三人
〇人
〇人
〇人
中学二年生
〇人
〇人
〇人
二人
中学三年生
〇人
一人
一人
二人

↑は女子


 結果は僕の予想通りでした。男子は医者と軍人とエンジニア、女子は医者と看護師とエンジニアが多かったです。次は僕一人の力ではできないと思いますが、もしできたらこのアンケート調査を、僕が住んでいるポカラ全体でやってみたいと思います!!

2012年11月27日火曜日

アンケート調査

 何日か前のブログで、ネパールの子どもたちの将来の夢について書きました。
詳しくはこちらをどうぞ。→ http://keishiseki.blogspot.com/2012/11/blog-post_22.html
 この記事では、僕がただ人から聞いたことやネパールの人を見ていて思ったことを書きました。でも、しばらく考えて、これではだめだと思いました。本当のことを知るためには、もっとしっかりと調べる必要があります。そこで今日、僕は通っている学校で、先生方に協力していただいて、将来の夢について全生徒にアンケート調査をしました。
アンケートの結果は、また後ほどお伝えします。楽しみにしていてください。

2012年11月26日月曜日

もう疲れました

僕は日本人です。日本に生まれ、日本の保育園に行き、小学校四年生まで日本の学校に通っていました。そんな僕が、五年生から突然ネパールの学校に通い始め、一日中英語での授業を受けています。さらに父と一緒に日本の学校の勉強もしています。僕は毎日くたくたです。しかも、日曜日も普通に学校があるのです。毎日僕は学校から帰ってくるときには、とても疲れています。どうかかわいそうな僕のことを励ましてください(泣)。お願いします。
 でも、僕の友達はみんないい人で、いつも助けてくれます。僕が自分の教科書を忘れたときは、すぐに教科書を見せてくれました。僕が困っているときには、必ず助けてくれます。僕はこの学校、そして僕の友達のことが大好きです!!

2012年11月25日日曜日

シチューを作りました!!

四ヶ月ほど前、日本に住む僕のおじ、おば、祖母と祖父からお菓子やレトルト食品、そして勉強道具を送ってもらいました。詳しくはこちらをどうぞ。
→http://keishiseki.blogspot.com/2012/07/blog-post_16.html 
 今日はその中でもレトルト食品についてです。
 様々なレトルト食品を送ってもらいましたが、中でも僕が一番気に入ったのはカレーライスとシチューです。数週間前にもカレーライスを作り、兄のホストファミリーと一緒にとてもおいしく食べました。皆さんが喜んでくれてよかったです。
 そのときに、僕ははじめて父からカレーライスの作り方を教わりました。それ以来何度かカレー作りに挑戦していますが、今では、みんなからすごく上達したと言われています。
 さて、今回は兄がホームスティ先でシチュー作りに挑戦してみました。でも、シチューの作り方とカレーライスの作り方は基本的に同じなので、とてもうまく作ることができました。
 僕は、料理にはあまり興味がなかったけど、カレーライスやシチューを作ってみて、料理がとても好きになりました。これからは、もっとたくさんの料理を作ってみたいと思います!!


 

2012年11月24日土曜日

ネパール数学コンテスト

十一月三日にネパールで数学コンテストが開催されました。父はAAEEという研究会の会長です。このネパール数学コンテストは、AAEEが主催したプロジェクトです。今日は、このコンテストの表彰式がありました。
 この表彰式には、受賞者、受賞者の保護者の方、受賞者の学校の校長先生、このコンテストのために手伝ってくれた方々、そしてメインゲストとして、ネパールで有名な教育者の方が来てくださいました。表彰式のはじめに父は、AAEEの活動の目的やこのコンテストを開催したきっかけなどを語っていました。
「世界の多くの国々が参加している学生の能力を測る国際テストがあります。でも、ネパールはそのテストに参加していません。だから、私たちがこの数学コンテストを開きました。」
と父は英語で言っていました。
僕もボランティアとして手伝ったので、他の人と同じように、父から賞状をもらいました。
このコンテストが始まるときは、ちゃんと成功するのだろうかと皆心配していました。でも、表彰式も無事に終わり僕たちはとても嬉しい気持ちで家に帰りました。                                                                             

2012年11月23日金曜日

ネパールの子ども達の将来の夢

 日本の子どもたちには、夢があります。将来サッカー選手になりたい、花屋さんになりたい、乗り物の運転手、料理人、パティシエなど数えられないほど様々な夢があります。でも、ネパールの子どもたちは日本の子どもたちとは違います。みんなの夢がほとんど同じなのです。男の子は、エンジニア、軍人、医者です。女の子は、看護師、医者、エンジニアです。ネパールの子ども達の夢は、たいていはこの中のどれかです。
 なぜネパールの子どもたちは、同じ夢しかもたないのかは、僕は今でもわかりません。皆さんは何が理由だと思いますか?僕はこの答えを知るために、ネパールの子ども達に質問をしてみたり、アンケートを取ったりして、答えを見つけたいと思います!!
 

2012年11月22日木曜日

僕の学校が再開しました!!

  


 日本の小学校には、春休み、夏休み、冬休みがありますよね。でも僕の通うネパールの学校では、夏休みと冬休みの代わりに十月中旬から十一月の終わりまでが休みです。この一ヶ月は、ネパールの一番大きなお祭りがあります。この休み中には、みんな自分の村へ帰って踊ったり、遊んだりして、お祝いをするのです。
 一昨日、長い休みを終え、僕の学校の友達が全員学校に戻ってきました。僕の学校は全寮制なので、休み中以外にはずっと学校に僕の友達がいます。僕は久しぶりに友達と会えることが楽しみで仕方がありませんでした。僕の学校は、僕の家から徒歩ので十秒の近さなので、朝から学校に行って先生たちと一緒にみんなが帰ってくるのを待っていました。
 僕が久しぶりに友達と再開した次の日・・・学校が再び始まりました。僕は久しぶりの学校で疲れたけど、僕の友達とたくさん話せて、遊べて嬉しかったです。
 

2012年11月20日火曜日

ネパールの停電問題

僕が懐中電灯で本を読んでいます。

 ネパールには二つの季節があります。雨季と乾季です。雨季は六月から九月の四ヶ月、乾季は、十月から五月の八ヶ月です。ネパールは水力発電なのですが、発電施設がしっかりしていないので、乾季は停電しているときが多いです。皆さんは信じられないと思いますが、ネパールの乾季の時期では、一日に十八時ほども停電するのです!!これほど長く停電していると、電子機器のバッテリーが無くなったら充電できません。それに暗い部屋にいるときや夜間に勉強したり本を読むときには、懐中電灯やろうそくを使うしかありません。ネパールにいると、僕たちの日常生活には電気はなくてはならないものだと、よく理解することができます。
僕が英語の家庭教師の先生から英語の授業を受けています。

2012年11月19日月曜日

人と同じことをしていてはつまらない

目指せ坂本竜馬!!
僕が書いた童話をコンテストに出す前に、僕の童話の感想を聞かせてくれた方へ、僕が落選したことを伝えるためのメールを書いたら、お返事が届きました。そこには、このように書いてありました。

 「今回の日本一は残念でしたが、日本一って、賞とか、形だけのものではないと思いのです。いろいろな面で、慶志くんは、いつも日本一の11歳と、私は思っています。
周りの同年代の子どもたちは、塾に通って猛勉強したり、遊びはゲーム、、あとはサッカーチームでがんばってる子もいますが、日本のこの現状では、どうも坂本龍馬のような大物は生まれないような気がします。小学生が塾で受験のスキルだけをみがいて、一番遊びを通して成長する時期にこども同士関わらないで、大きな事をできる大人になれるでしょうか?
慶志くんも、お兄ちゃんも、本当に素晴らしい体験をして、それを自分のものとし、大人の私からみても、人間としてとても尊敬しています。まだこれからいろんな機会があるでしょう、チャンスは、まだいくらでもあります。このまま、挑戦を続けていってくださいね。」

  特に「日本人の子どもたちの現状では、坂本竜馬のような大物は生まれないような気がする」と書かれていましたが、本当にその通りだと思いました。

 坂本竜馬は日本の将来を本気で考え、日本の発展を願い、とにかく何でも自分で考え、正しいと思うことを行動に移しました。日本を守るために敵同士の間に入り、必死に仲直りさせたこともあります。坂本竜馬の真剣な努力は周りの人々を感動させ、しだいに日本全体を動かすようになりました。

 今の日本人は、たくさん勉強して、できるだけいい大学に入って、会社員になって人生を終える人が多いと読んだり聞いたりすることがよくあります。でも、みんなが同じようなことをして同じようなことを考えていると、新しい発見やアイディアがでてこなくなり、日本はもう発展せず、だめになっていくのだと僕は思います。
 僕は他の人たちと同じことをするのではなく、自分だけにしかできないことを探し、行い、他の人たちに認められる人間になりたいです!!
 

2012年11月17日土曜日

童話コンテストに・・・落選(泣)


始めに・・・皆さん、一週間以上もブログを書けなくて申し訳ありませんでした。実は僕は、兄がホームスティしているネパールの家族の家にホームスティしました(兄はいませんでした)。そこではインターネットがありません。だから、ブログを書けませんでした。申し訳ありません。ちなみに兄は特別な機械を使ってインターネットに接続しています。

前回のブログで書いたように、今日は僕が童話コンテストに応募した作品を紹介します。僕が応募したのはJX童話の花束」というコンテストです。一ヶ月ほど前に結果発表がありました。僕は自信を持っていたのですが・・・残念ながら落選してしまいました。(結果発表のサイトはこちらをどうぞ。http://www.jx-group.co.jp/hanataba/awards/43/result.php)。すごく落ち込みました。
 
また、日本一の座をつかめませんでした。でも審査員の方々がどう思っていても、僕は自分の童話が日本一だと思っています。
童話のモデルになった足のない牛です。
 僕の書いた童話をどうぞお読みください。


      義足のガンガと足のない牛


 ヒマラヤの国、ネパール。山のふもとの村にガンガという少年がいました。ガンガの左足は義足です。3年前のひどいヤケドのせいで、本当の足を失ってしまいました。義足のせいでガンガは友達からひどくいじめられ、いつも一人ぼっち。目の前の大好きな山にも登れなくなってしまいました。
 ある日のこと。ガンガは一頭の牛がゆっくり、ゆっくり歩いているのを見かけました。よく見れば右の前足がないではありませんか。「ボクと同じだ」ガンガはその牛のことをかわいそうに思いました。
「あの牛になにかできることがないかな」ガンガは考えました。「そうだ!牛にも義足を作ってあげよう。」
 ガンガは牛の足に合う太さの木を探し、義足を作り始めました。牛の足のサイズに合わせて少しずつ、少しずつ木を削ります。そして作り続けて一ヶ月。ようやく義足が完成しました!
 義足を牛の足にはめると、牛は気持ちよさそうに歩きはじめました。「やったー!」ガンガは自分が義足をはじめてつけたときのことを思い出し、胸がいっぱいになりました。
 その日から牛の顔からは悲しそうな表情は消え、他の牛と一緒に仲良く村中を歩くようになりました。
 それから少したったよく晴れた日のことです。ガンガの前を通りかかった牛は、いつもと様子がちがいます。ガンガをじっと見つめ、目を離そうとしません。すると突然ガンガの心の中に牛の声が響きました。「ボクについて来て。君をつれていきたい場所があるんだ。」ガンガは体が飛び上がるくらい驚きました。でもあの牛の声が聞こえたことがうれしくて、ついていくことにしました。
 牛はときどき後ろを振り返り、ガンガがついてくることを確認しながらゆっくりと歩きます。ガンガの大好きなヒマラヤの山が、だんだん近づいてきます。牛はヒマラヤの山を登り始めたのです。ガンガは言いました。「ボクの足は義足だから無理だよ。登りたいけど登れないんだ。」牛はガンガが作ってくれた義足に目を落とし、またガンガを見つめて言いました。「僕も義足だよ。」とても優しい笑顔でした。
 ガンガは思い切って山を登り始めました。細い道を少しずつ、少しずつ。
 しかし、しばらくすると急に黒い雲が空に立ち込め、強い雨が降り風も吹きはじめました。ガンガは体が吹き飛ばされそうです。「ねぇ、もう無理だよ!登れない!!」それでも牛は歩き続けます。
 突然、これまでに経験したことのない猛烈な突風がガンガと牛を襲いました。周りの木は倒れ崖もどんどん崩れていきます。義足のガンガの小さな体ではとても支えられるようなものではありません。「まさか『ヒマラヤの嵐』・・・。」ヒマラヤの嵐のことを知らない人はこの村にはいません。百年に一度この村を襲う、恐ろしい嵐です。ガンガの体は強い風にあおられて吹き飛ばされ・・・。
 その時です。牛がガンガにかけより「つかまって!」と義足の前足をガンガの目の前に差し出しました。ガンガは必死で牛の義足につかまります。
「あーーーーーーーー」
 その後のことはよく覚えていません。気がつくとガンガと牛は森の中にいました。ガンガも牛も傷だらけでした。雨と風はすっかりやんで、夕方の優しい太陽の光が2人をつつんでいました。
 「だいじょうぶ?」ガンガは心配そうに牛に話しかけました。牛はじっとガンガの足を見つめています。ガンガは不思議に思い、自分の足に触れてみました。するとなんと、義足ではなく本物の足に戻っているではありませんか。
「ボクの足だーーー。ボクの足だーーー。」
ガンガは喜び、涙を流し叫び続けました。
 「牛さん、ほら見てよ。ボクの足だよ!」ガンガは右足を牛に向けました。しかしついさっきまでそこにいたはずの牛の姿が見えません。
 「牛さーん、牛さーん、どこにいるの?」
ガンガは大声で牛を呼び、探し続けました。
 すると突然。空から牛の静かなゆっくりとした声が聞こえてきました。
 「ガンガ君。本当は私はヒマラヤの神なのです。足のない牛に姿を変えて、君をずっと見ていました。君がとても優しい子どもだとわかったので、足を戻してあげることにしたのです。元気でね、さようなら・・・。これからもずっと君のことを見ているよ。」
 その後、足のない牛が姿を現すことは二度とありませんでした。
 「義足の少年が、ヒマラヤの嵐の日に山で遭難し、足を取り戻して帰ってきた。」このお話は、ここヒマラヤの村でいつまでもいつまでも語り継がれました。

2012年11月9日金曜日

僕のブログ 一周年記念日!!

 
この写真については、また後ほどお伝えします。

 今日、11月9日は「Happy Life With Keishi」のブログの一周年記念日です!!
僕はこの一年間、タイ、ネパール、日本で経験したことや感じたことを書きました。240回投稿しました。一年は365日ですから平均で三日に二回は投稿したことになります。このブログを一年間続けられたのも、みなさんが僕のことを応援してくれたおかげです。本当にありがとうございます。これからもずっとブログを続けて生きたいと思いますので、どうぞよろしくお願いします。
 一周年を記念して、次回のブログでは僕が書いた童話を発表します。お楽しみに。

 

2012年11月7日水曜日

僕がやった生まれて始めての仕事(モデル)

右に座っているのが僕です。

今日は、僕が五歳の時の自分の写真を久しぶりに見ていました。

 そしたら、僕が生まれてから六年間住んでいた新潟で、新しくできた結婚式場のコマーシャルのモデルをやっている写真を見つけました。

ある日、このコマーシャルの制作担当の人が僕の母に、

「ケイシ君に結婚式場のコマーシャルにでてほしいのですけど」と声をかけてもらいました。もちろん僕も母も、いい経験になると思いやってみることにしました。

 撮影の日はすごく暑かったのですが僕は長袖のスーツを着て、汗びっしょりになりました。撮影が終わった後はくたくたでした。でも、コマーシャルにも出れたし、とてもいい経験になりました。



2012年11月6日火曜日

母について大発見!!

 昨日のブログでは、昔父が全国第二位の賞を受賞したスピーチコンテストについて書きました。
今日は母が昔受賞したコンテストについて書きます。
 僕の母はドイツ人です。ドイツの当時の首都ボンにある、ボン大学の大学院生の時、大学の先生に誘われて一つのコンテストに応募したそうです。

「全国中国文学翻訳コンテスト」中国語の文学作品をドイツ語に翻訳するコンテストです。

 母は、大学で中国文学の勉強をし中国に留学して勉強したこともあります。さらに中国語からドイツ語への翻訳に興味をもっていたので、たくさんの中国の小説などをドイツ語に翻訳しました。その内の一つを大学の先生が気に入って、コンテストに応募することをすすめたのだそうです。

 母は、大学の先生に言われたから応募したけど本当は全然興味がなかったそうです。だから、コンテストに応募した後もいつもと変わらない生活をし、コンテストのことなどすっかり忘れていました。そしてコンテストの結果の手紙が家に届いたときにも、母はその手紙に気づかなかったそうです。

 あるとても寒い冬の日、授業が終わって大学から帰ろうとしたら、入り口の近くの事務室の人から「今晩あのコンテストの表彰式があるから、絶対に行ってくださいね」と言われました。母は、「こんなに寒い日なのになんで」と思いながらも、大学から直接言われてプレッシャーを感じ、仕方なく家に帰らずそのまま表彰式の会場に行きました。

 しかし、会場に着いた瞬間、母は驚きました。いきなりたくさんの新聞記者やテレビの人たちが母のところに寄ってきました。

 「早く写真をとらせてください」とか、「このコンテストに応募したきっかけは?」などとたくさんの記者から言われました。が、母はもちろんわけがわからなく、呆然と突っ立っていました。何と、母はこのコンテストで優勝したのです!!

 そのことがわかった瞬間、母はとてもびっくりしました。

でも、母は自分がこのコンテストで受賞したことも知らずこの会場に来たので、普段着(ジーンズ、ブーツ、ジャケット、マフラー、手袋)、普通の大学生の格好をしていました。ですが、会場に来ている人々は、受賞者やその家族や先生方。皆おしゃれな服を着ていました。普段着は母だけ。さらに表彰式が行われた場所は何と昔の宮殿です。その一番いい部屋の表彰台の真ん中に二位と三位の人の間に母は立たされたくさん写真を撮られました。母は嬉しさよりも恥ずかしさでいっぱいだったそうです。

 母はドイツの有名な全国コンテストで一位(最優秀賞)になりましたが、これは日本一ではなく、ドイツ一です。だから前のブログでも書いた通り、僕の家族は誰も日本一になったことがありません(笑)。だから僕は関家の誇りをかけて、絶対にいつか日本一になります。応援よろしくお願いします。

ちなみにボン大学のことについてはこちらをご覧ください↓
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%92%E3%83%BB%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%AB%E3%83%98%E3%83%AB%E3%83%A0%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E3%83%9C%E3%83%B3

2012年11月4日日曜日

父について大発見!!

今の天皇陛下と話す父。一番左が父です。
僕は去年、全国小・中学校作文コンクールで全国二位(読売新聞社賞)になりました。兄も同じ賞を取りました。ちなみにこのコンクールには、二万人くらいいの人が応募しました。詳しくは、こちらをどうぞ。→ http://www.yomiuri.co.jp/junior/articles_2012/120114-2.htm
 しかし!!今日僕は兄のホームスティ先に置いてあったある本を見て、大変なことを発見してしまいました(なぜ兄の部屋にこの本があったのかなぞです)。実は父は29年前、15才のときに少年の主張全国大会というスピーチコンテストで、十二万人もの応募者の中で全国二位(文部大臣賞)になったのです。さらに僕の入賞した作文コンテストよりも十万人も応募者が多いのです。表彰式で今の天皇陛下と話している姿も写っていました。正直に言って「負けた」と思いました。
 僕は少し悔しくなり、どうしたら父に勝てるかと考えました。そこで思いついたことは・・・。
大宣言です!
 僕は日本一になる!!絶対日本一になる!!そうすれば父に勝てる!!
 僕の家族は誰も日本一にはなっていません。みんな二位です。だから僕は、関家の誇りを持ち、いつか必ず、何かのコンテストで日本一になりたいと思います!!僕は日本一になるために頑張って勉強し、いろいろと考えますので、どうか皆さん僕のことを応援してください。よろしくお願いします!!
 (母はあるコンテストですごい賞をとっていますが、これは「日本」一ではありません。ことについては、次のブログでお伝えします。)