2012年9月29日土曜日

テスト結果 そして僕にとってはじめて大きな仕事

前回のブログで、僕の学校がテスト期間だということを書きました(三日目でした)
昨日、僕のテストは5科目全部終わりました。
一日目 英語 書くテストと会話のテスト 合格しました!
 二日目 算数 書くテスト 合格しました!
 三日目 コンピュータ 書くテストとコンピューター内での操作 合格しました! 
四日目 保健 書くテスト 合格しました!
 五日目 理科 書くテストと聞くテスト 合格しました!
僕は全部の科目で合格しました!!
 とてもうれしかったです。やはり毎晩10時まで勉強した甲斐があったな、と思いました。
仕事の準備をしています。
隣の人は知らない人です。
でも昨夜はとても疲れてしまい、8時に寝てしまいました。

  さて、テストが終わって・・・
 今日から、僕にとって生まれてはじめての大きな仕事が始まりました。。
 僕は、ネパールの首都カトマンズにいます。そして明日から約2週間タイ、カンボジア、ベトナム、ラオスに行きます。遊びではなく、父のアシスタントとして行きます。
 父はカンボジア、ベトナム、ラオスで学校行き、アンケート調査をしたり、授業を見たり先生方や生徒と交流します。日本の紹介もするそうです。その後で学校について雑誌の記事も書きます。
 父の仕事を手伝ってくれるのはどの国でも大学生か若い女の人で、父と二人だと緊張してしまうから僕ががんばって緊張しないようにしてほしいと言われました。
 他には、父の荷物を準備したり、父がやったことや会った人のことをすべてノートに書きます。父はよく忘れ物をするので気をつけないといけません。また生徒や学生と会うときには日本の歌を歌ったりするそうです。ラオスではタイ語が通じるので通訳もしなければなりません。
 父の仕事についていきたいと言ったのは僕です。父は最初はだめと言いましたが、僕がずっと言い続けていたら、「やれと言われたことを全部やるのならば連れて行ってあげる。」と言いました。だから、父にやれと言われたことはすべてやらなければいけません。何を言われるか心配ですが、約束をしたのでできるだけがんばりたいと思います。学校の先生は「ケイシ、がんばれ」と言ってくれました。
 これから毎日ブログで報告するので楽しみにしていてください。

2012年9月25日火曜日

テスト期間


たった今の写真です。

 今はテスト期間です。今まで二科目が終わりました。後三科目残っています。日本やタイの学校ではテスト期間はなかったのではじめてのことです。
 ネパールではテストは毎日一科目だけで、一科目のテスト時間が三時間もあります。さらに僕はなぜか六年生に入っていて、たとえば算数は父によれば日本の中学一年生か二年生のレベルだそうです。また答えは全部英語で書かなければなりません。だからすごく疲れます。
 一日目 英語 書くテストと会話のテスト 合格しました!
 二日目 算数 書くテスト 合格しました!
 三日目 コンピュータ(今日です) コンピュータの中身についての難しい話です。今日が一番自信がない)
 四日目 保健
 五日目 理科
 
 ネパールのテストでは小学生でも合格、不合格があります。僕は不合格になりたくないので、毎日夜10時まで学校で勉強しています。学校だと、わからないところを上の学年の人たちが教えてくれるので助かります。

 テストが終わると、僕にとってははじめての大きな仕事が待っています。何だと思いますか?テストが終わったら、そのことについて書きたいと思います。

皆さんは答えられますか?


2012年9月19日水曜日

僕の誕生日 最終回 僕のクラスの子供たちが僕のためにパーティを開いてくれました!!

 今日は誕生日の夜にクラスの友達が僕のためにパーティを開いてくれたことについて書きます。

 僕のクラスの子供たちは、みんなでお金を出し合って、食材を買い、僕のために食べ物を作ってくれたのです。それはインスタントラーメンのゆでる前のものと、ネパールの何かお祝いのときに食べるお米をレモンと一緒にまぜ合わせたものです。
 そして手作りジュースも作ってくれました。こんなにもみんなが僕のことを考えてくれてるのだと思い、とてもありがたい気持ちになりました。
 そしてパーティが始まりました。みんなわいわいはしゃいで、食べて飲んでとても楽しんでいました。もちろん僕もすごく楽しみました。こんなことをしてもらうのは初めてです。
僕はそのとき、(とてもいい仲間を持ったなぁ)と思いました。
皆さん。本当にありがとうございました。
(写真は撮らなかったので、変わりに他の写真を入れます。
これは「先生の日」に僕たちが踊っている写真です。右から3番目が僕です。

2012年9月18日火曜日

僕の誕生日 パート3 僕の家庭教師の先生と誕生日会

 湖での誕生会を終えると次は夕食です。ここでも誕生会を開いてもらいました。
来てくれたのはマヒマさん(僕の英語の家庭教師の先生)と彼女の妹リトゥさんといとこのニスさん、そして僕の兄と母と父です。一緒にレストランに行きました。もちろん犬のヨーヨーも一緒です。
 みんながご飯を食べながら僕の誕生日を祝ってくれました。
 マヒマさんは、妹やいとこと一緒に、長い時間をかけて僕の誕生日プレゼントを選んでくれたそうです。
 いろいろと探した結果、最後に残った候補がスケートボードとローラーブレード、そしてダーツだったそうです。でも、ネパールでは道が汚く、がたがたしているので、スケートボードもローラーブレードも使いにくい。だから、マヒマさんはダーツを選んでくれました。

 このダーツは折りたたみ式なので、どこにでも持って行けます。僕はこのプレゼントをもらったとき、すごく嬉しくて、「おーっ」と声を上げました。ヒマなときは、今でもずっとこのダーツで遊んでいます。マヒマさん、本当にありがとうございました。
 実は、僕は夕食を終えた後、みんなをレストランに残して一人で学校に戻りました(暗かったのでマヒマさんにバイクで送ってもらいました)。

僕のクラスの子供たちが僕のためにパーティを開くから来て、と言われたからです。

             次回はそのことについてです。お楽しみに。

このときには残念なことに、僕はもう学校に戻っていましたので、写真に写ることができませんでした。(悲)左から父、母、リトゥさん、マヒマさん、ニスさん、兄。






2012年9月17日月曜日

僕の誕生日 パート2 クラスのみんなでボートに乗った!!

 今日は、昨日書いた学校でのびっくりイベントの後に乗った足漕ぎボートのことについてお話します。
 船に乗ったのは、僕のクラスのみんな(12人)と僕と僕の父です。僕の兄がホームスティしている家で飼っている犬、ヨーヨーもつれて来ました。このボートを漕いで30分、湖の上に浮かぶ小さな島に行きました。この島には小さなヒンズー教のお寺がポツンとあるだけです。
 僕は初めてこの島に来たから、少しゆっくり中を見たいと思いましたが、ボートを借りているのは一時間だけ。時間がなかったので3分ほどしか見ることができませんでした。その島には神様がいるそうなので、みんなでそこでお祈りをしました。
そして、僕の友達が僕にティカをつけてくれました。ティカとはおでこにつける赤いもので、ネパールの伝統的なものです。
 帰りのボートで・・・みんなが僕のために歌を歌ってくれました。僕はとても感動して涙が出そうになりました。歌が終わったら僕の親友、アシッシュ君が学校でのびっくり誕生会のときのスピーチを再び読んでくれました。僕はまた泣きそうになりました。僕はその時に、
(やっぱりこの学校に入学してきて良かったなぁ。みんな良い人でいつも僕のことを助けてくれるし・・・。」
僕はみんなにとても感謝しました。
 この経験も僕は一生忘れないと思います。
本当にありがとうございました。





2012年9月16日日曜日

僕の誕生日 パート1 学校でのびっくりイベント




 今日からは何回かに分けて僕の誕生日のことについて書きます。今日は学校でのものすごい誕生日回のことについてです。

  僕の誕生日は土曜日(ネパールの休日)でした。最初は僕の兄がホームスティしている家に行き、その家で飼っている犬を一日預かりに行きました。その後朝ごはんを食べ、犬を散歩に連れていました。
 散歩を終えて家に帰ってくると、父から電話がありました。父はいきなりこう言いました。

「お誕生日会を学校で開いてくれるそうだから、すぐ準備をして」

よく訳がわからなかったのですが、僕と母は急いでケーキを買って学校に行きました。

学校に着くと、なんと全校生徒が一つの部屋に集まり、僕を待っているのが見えました。それをみて、僕は正直に言うと怖くなってしまいました。なぜならば、自分の誕生日にこんなすごい人数の人が集まってくれることは生まれて初めてだったからです。あまりの突然のことで心の準備もできていなかったので、思わず泣いてしまいました。
しばらく他の部屋で泣いていると、一人の先生がやって来て、
「どうして泣いてるの?」
と聞かれました。でも僕は何も答えることができませんでした。すると、その先生は僕のクラスの友達を呼んできてくれて、友達は僕にやさしくしてくれました。そして、僕は友達と一緒にみんなの集まっている部屋に行きました。

僕のための誕生会の始まりです。

最初は僕の親友、Ashish(アシッシュ)君が僕のためにスピーチをしてくれました。

あのスピーチにはとても感動しました。アシッシュ君、ありがとう。

それから友達が順番に踊ったり歌ったりしてくれました。

最後には、僕もみんなと一緒に踊りました。あんなに嬉しい気持ちで踊ったことは今までに一度もありません。

踊りの後は、ネパールの人ややるように、僕がみんなにお菓子を配り、一人一人と抱き合いました。

そして最後にそしてみんなでケーキを分けて食べて、会は終わりました。

ネパールでの11歳の誕生日、僕は絶対に忘れることはないでしょう。僕はこの学校に来て本当によかったです。

皆さん、僕のためにこんなパーティを開いてくれて、本当にありがとうございました。

 






みんなが僕を慰めてくれています。

みんなで踊っているところです。

 
 



アシッシュ君がスピーチを終え、僕と抱き合っているところです。


2012年9月15日土曜日

僕のたび 最終回 事故

 今日は僕のたびの最終回です。
村での滞在を終えて、ポカラに帰る途中の道でアクシデントがおこりました。

 僕がウトウトと寝ようとしているところに、僕たちの車に二人の警察官がドドドッと入ってきました。
「いったいなんだ?」わけがわからなかったのですが、驚いて目が覚めました。






 警察官は運転手と何かネパール語で必死に話していましたが、僕には通じませんでした。警察官は拳銃とライフルを持っています(一気に緊張が高まりました)。
 マヒマさん(僕の英語の家庭教師の先生)に何を言っているか聞いたところ、
「大変な事故が近くに起こったみたいだから連れて行ってくれ。」
と言っていたそうです。さすがに僕は怖くなり、寝ることをやめました。


驚いたことに、この辺の警察にはパトカーがないので、事故が起こると、道を通りかかった車に乗せていってもらうのだそうです。
 この道は横はがけになっていて、少しハンドル操作を間違えると車が転落してしまいます。
だから僕は事故と聞いて、「また転落事故か」と思いました。ネパールでは転落事故が日常茶飯事だからです。そして転落事故が起こると、大抵、そのバスの中に乗っている全員が死んでしまいます。
 10分後・・・事故現場に着きました。
バス同士の衝突だそうです。ネパールの地元の人用のバスは速さ勝負で目的地に早く着くのがいいと言われています。だから、バス同士で追い抜き競争をしている内にぶつかったのだそうです。
 一台は穴にはまって動けなくなっています。もう一台は車体がつぶれ窓ガラスがメチャクチャに割れていました。

 二台のバスが道をふさいでいたので、僕たちの車は長い時間動けなくなってしまいました。
僕は車酔いで気持ちが悪くなったので、石の上で眠りました。


 随分時間がたってから、やっと車が動けるようになりました。そこから五時間ほど山道をぐるぐる回り、無事車で家にたどり着くことができました。これで村へのたびの報告は終わりです。この村には11月にまた新潟の学生さんと一緒に行く予定です。
                                                (完)


 



2012年9月12日水曜日

風間深志さんに会いました!!

僕がこのブログを書いているうちに、僕に声をかけずに勝手に写真撮影をしてしまったので、
僕はこの写真にいません(怒)。
お伝えすることを忘れていましたが、僕の母は3800メートルの山に登り、今朝帰って来ました。母は山に登っているときに、一人の日本人に会ったそうです。
 その人は、風間深志(かざま しんじ)と言う方です。その人は何と、北極と南極、そしてエベレストの6605メートルまでオートバイでたどり着き、他にもたくさんの山をオートバイで登ったそうです。そして、この人は世界記録を3つ持っています。
詳しくは↓をどうぞ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A2%A8%E9%96%93%E6%B7%B1%E5%BF%97
 母と風間さんは一緒にポカラに帰ってきて、僕もたくさんお話をしました。
風間さんが言っていました。
「自分の趣味を大事にしないといけない。僕も趣味のおかげでこういう世界記録を出すことができた。僕ほどオートバイが好きな人は、たぶんいないだろう。」
 風間さんのお話を聞いて、本当にためになりました。
例えば、自分の趣味を大切にしないといけないこと。僕は「趣味は何ですか?」と聞かれたときに、上手く答えられないことに気がつきました。僕は一生懸命勉強するだけでなく、風間さんのように一生楽しめる趣味を見つけないといけません。
 自分が趣味に一生懸命取り組むことで、誰も考えないような新しいことを生み出すことができると風間さんは言っていました。風間さん。今日は僕たちとお話してくださって、本当にありがとうございました。

2012年9月10日月曜日

僕のたび その9 ヒマラヤ山脈と夕焼け

 この日はマイダン村にいる最後の日です。特に何もしませんでしたが、午後・・・。
 天気がいきなりものすごく良くなりました。そして何と、僕たちのことを見送ってくれるかのように、ヒマラヤ山脈が目の前一面に広がりました。

本当はもっときれいに見えましたが、写真を撮ったときにはもう雲がかかっていました。
 僕たちのポカラの家では、すぐ前にある小さな山に隠れ、ヒマラヤ山脈は頂上の方しか見えません。でもこの村は標高が高いので山の下から山の上まで、それに左から右まですべて見えてとてもきれいでした。このなにも山がきれいだと思ったのははじめてのことです。
 この日に僕たちを見送ってくれたのは山だけではありません。左上を見ると、生まれて初めて見るようなきれいな夕焼けが広がっていました。まるで、本当に空が燃えていたかのようでした。


 僕たちはきれいな山も見たし、きれいな夕焼けも見たし、たくさんのいい人々にも出会い、この村にきて本当に良かったと思いました。

                        (続く)



2012年9月9日日曜日

僕のたび その8 学校で教えました!!

 一昨年、父は僕が日本で通う学校でネパールの話をしてくれました。
その時、父は一つのビデオを見せてくれました。
そのビデオは、このマイダン村の3年生(当時)が日本語で、
「○○学園(僕の通う学校の名前)、こんにちは。」
とみんなで声を合わせて言っいるビデオでした。
 今回、僕はその学校で折り紙を教えました。
そして何と偶然にも、僕は5年生の教室で教えることになりました。
二年前にビデオで「○○学園こんにちは」と言ってくれていたクラスです!!僕は家で何度もそのビデオを見ていたので、顔を知っています。覚えている顔もあってとてもうれしかったです。
僕は折り紙で、メダルの作り方と飛行機の作り方を教えました。
みんな一生懸命作ってくれました。
僕は生まれて初めて先生の役をやりました。とても面白かったのですが、教えるのは難しいこともありました。一番難しかったのはみんな英語を話せずコミュニケーションがうまくいかなかったことです。でも、ジェスチャーでがんばって教えました。
 その後はみんなで外で飛行機を飛ばしたり、ゲームをしたりしました。
 今回の経験で、僕はネパール語が話せたらいいなと思いました。僕は英語は話せますがネパール語は苦手です。これからネパール語も勉強しようかなぁ。
 僕はこの日の経験を一生忘れません。この学校で教えることができてとてもよかったです。





2012年9月8日土曜日

22222人

 今日は休日ですし、とても疲れたので、短いブログにします。
今朝、僕のブログを読んでくれた方々の数が22222人になりました。
読者の皆さん、僕のブログを毎日読んでくださって本当にありがとうございます。
これからもがんばって書きますのでよろしくお願いします!!

2012年9月7日金曜日

僕は広島大学医学部に入学します!!

 一昨日のブログで、ポカラに来た日本からのお医者さんや医学部の学生さん、そして大学の先生方のことを書きました。
 今日のその中で一番仲良くなった広島大学医学部の学生さんたちとの会話について書きます。
 僕の将来の夢は医者になることです。そのことを学生さんたちに話したら、
「そうか。それならたくさん勉強しなくてはいけないね。」
と言われました。もちろんです。大学の医学部とは、一番成績がよく、一番入るのが難しい学部なのですから。
 こんなことも言っていました。
「大学生になると、成績など評価をされるときには、テストの成績だけを見られるのではなくて、どのくらい真剣に勉強しているかなども見られる。それに、大学に合格するには、その大学なりの試験勉強が必要だ。広島大学には入れても、他の大学には入れないこともある。なぜならば試験の内容がまったく違うから。」
そのことを聞いたのは、初めてでした。
 皆さんの話をきいて勉強だけがんばるのではなく、他のことも一生懸命がんばらなくてはならないと思いました。さらに、入りたい大学用の特別な勉強も必要だとわかりました。
 この大学生の方たちは、もう僕の友達です。
僕はその人たちから広島大学への入り方を習うことができます。もし、7年後まで学生さんたちが僕のことを覚えていてくれたら、受験勉強のやり方を教わりたいです。
皆さんと話をして僕の目標がきまりました。
僕は広島大学医学部に入学します!!
 僕はがんばって広島大学に入って、がんばって勉強して、たくさんの人を助けられる医者になりたいです!! 


僕の隣に座っている人たちが広島大学の学生さんたちです。
ここは親が悪いことをして刑務所に入っている子供達のための施設です。
                      

2012年9月6日木曜日

誕生日会

 昨日、父の友達の娘さんがお誕生日でパーティーに誘われました。
その人たちの部屋はとても小さく縦横3×3メートルしかありませんでした。娘さんのお友達もたくさん招待されて、小さい部屋の中は満員状態。
 ネパールでは、ろうそくに火をつけたら花火のようにフワーっと広がるものがあります。それを使っていました。さらに風船に火をつけて割り、中から紙ふぶきをだす工夫もします。僕たちはこういうのははじめてでとてもびっくりしました。それからみんながプレゼントとお金を娘さんにあげました(僕たちは50ルピー、45円くらいあげました。全部で娘さんのところには1000円くらい集まりました。ネパールの子供にとって、1000円は超大金です。)。その後娘さんがケーキを切りました。でも娘さんは4歳でまだうまく切れず、お母さんが手伝ってあげていました。
 父の友達の娘の誕生日は写真をみんなで撮ったり、お話をしたりして、とても楽しかったです。
 父は、パーティーで撮った写真を、後でその方たちにプレゼントするそうです。

僕の左にいる女の子が主役です。

2012年9月5日水曜日

日本のお医者さんたちがやって来ました!!

 今日はブログを書こうとしたら、父に呼び出されました。
日本からたくさんお客さんが来てるから、手伝って、と言われました。
あわててその場所に行くと、14人の日本人がいました。
こんなにたくさんの日本人に、会うのは久しぶりなので、びっくりしました。
お医者さんと医学部の大学生と大学の先生たちです。
父がその人たちと何の関係があるかは分かりませんが、僕はその人たちにご飯を出す手伝いをしました。だから今日はちゃんとしたブログをかけません。すみませんでした。

2012年9月3日月曜日

僕のたび その7 トイレ

 今日は、村のトイレのことについて書きます。
ネパールのほとんどの家のトイレは和式のトイレに似ています。違いは穴の位置だけです。和式は穴が前の方にありますが、ネパール式は穴が後ろの方にあります。
ですが、とても汚いトイレが多いです。だから車で旅行するときなどはトイレが大きな問題になります。
 この村のトイレも同じで、トイレがすごく汚なかったです。また、トイレが家の中にはありません。数軒の家で一つのトイレを一緒に使っています。トイレは普通、牛やブタの小屋の隣にあるます。ですからトイレに行くときには必ずブタや牛が横にいます。
 大抵の場合、便器には、人の大便が残っています。そこでみんなが大便をし、さらに少しずつついていくので、どんどん汚くなります。
 このトイレを見た瞬間、僕は自分の目を疑い、動けなくなってしまいました。タイやポカラではここまで汚いトイレを見たことはないです。

左側が家、右側が牛・ブタ・やぎ小屋。この間を少し行ったところにさらにブタがいてそこに人間用トイレがあります。トイレの中は昼間でも真っ暗なので懐中電灯が必要です。でも置く場所に困るのでヘッドライトをおすすめします。トイレの写真は余裕がなくて撮るのを忘れてしまいました。
 このトイレはOKバジ(http://home.e-catv.ne.jp/izu/okbaji.html 
OKバジについては上のリンクをどうぞ。)の支援で作られたそうです。  OKバジが来る前は、村にトイレはなくただ穴を掘って便をするか、道の脇でしていたそうです。
そのことを父から聞いたとき、今度は自分の耳を疑いました。僕の想像をはるかに超えていたからです。「こんなに汚いトイレ!」と僕は考えますが、村の人からすると、「やっとトイレができてすごくうれしい!」ということになってしまうのです。
 ちなみにこの汚いトイレ。「自分には絶対無理」と思っていましたが、途中からはあきらめました。あきらめるとだんだん、どうでもよくなってきました。トイレにいる時間は短いですし(笑)。

 世界にはこのようなトイレがあることを知ることができ、よかったです!

2012年9月2日日曜日

散髪しました!

 皆さん。今日は僕の宿題がとても多く、ブログを書く時間がありませんでした。
本当にすみません。明日はしっかりとブログを書きますので楽しみにしていてください。
 明日のブログは、「僕のたび その7 マイダン村で 2日目」です。
一言だけ・・・。
 僕は今日、散髪しました。こんなに短くなったのは、生まれたてのとき以来だと思います。
ちなみに、50ルピー(45円くらい)で切ってもらいました。