2013年5月30日木曜日

奇跡のドキュメンタリー映像

 2月、日本とネパールの大学生の交流を深めるため、日本から五人の学生さんたちがネパールに来てくださいました。AAEE(Asia Association of Education and Exchange)のプログラムでみんなでネパールの山奥の村に行ったり、ポカラ(ネパール第二の都市)で交流をしたりしました。僕はネパールに住んでいましたが、日本から来た皆さんと一緒に活動させてもらいました。ちなみにAAEEは父が作りました。
 その時に、奇跡のドキュメンタリー映像が撮れました。それがこれです。↓のリンクをご覧ください。
http://www.youtube.com/watch?v=9mT9cZwt2-0
(特に15分15秒から21分が注目です。)

2013年5月28日火曜日

僕のYシャツ

 僕がネパールにいた頃は同じ服を3日~4日着てから洗濯しました。
僕の学校です。真ん中にいる白い服が僕です。



 ですが日本に帰ってきたら、服は毎日洗濯をします。下の写真の服はこんなにきれいなのに、これから洗濯されます。

ピカピカのYシャツ。洗濯するのがもったいないくらいです。
どちらが良いのでしょうか・・・

2013年5月27日月曜日

店でおつりが無い!?

 僕がタイとネパールに行く前(2年前)にときどき行った、自宅の近くの駄菓子屋さんに行って見ました。かなり、さびしい店になってしまっていました。欲しいものを選んで、さあ買おうと思ったのですが・・・
 父が1万円札しかなかったので、1万円を出したら駄菓子屋さんの店主はおつりが無かったので断られました。結局何も買わずに店の外にでました。僕は、日本ではどの店にもいくらお金を出してもお釣りは戻ってくると思っていましたのでびっくりしました。
 実はネパールではこういうことは普通でした。500ルピー(約500円)とか1000ルピー(約1000円)を持って買い物にいくと、おつりがないのでよく断られました。だから買い物に行くときには必ず細かいお金を持っていくようにしていました。それに両替機もないので、日本みたいに簡単には行きません。
 おつりが無いというだけのことでしたが、ここの駄菓子屋さんは僕がいつも行っていたネパールの店を思い出させてくれ、とても懐かしい気持ちになりました。

2013年5月25日土曜日

ナイジェリアの公用語

皆さん、前回のブログでナイジェリアの公用語は何語かと言うクイズを出しました。今回は、答えとその理由を発表します。

 ナイジェリアの公用語は・・・英語です!!

僕は、理由をよく知らなかったので、父に聞いてみました。すると・・・

ナイジェリアは、昔はイギリスの植民地だったそうです。その影響で皆英語を使うようになったのです。今は独立していますが、国内には500以上の現地語があり、同じくらいの数の民族がいます。だから、民族が違う人たちと話すときに現地の言葉だと通じにくいので、英語を公用語に選んだそうです。
 ちなみに僕が住んでいたネパールもたくさんの現地語がありましたが、公用語はネパール語でした。

2013年5月23日木曜日

ナイジェリアについて


今日僕は学校の課題でアフリカのことを調べることになりました。そこで図書館で資料を探したのですが、ナイジェリアのものしか見つけることができなかったのでナイジェリアについて調べることにしました。
 ナイジェリアは、アフリカでも最も国土が広い国です。ですが、貧しく治安が悪いそうです。

 さて、突然ですが、ここで皆さんにクイズです。

ナイジェリアの公用語は何語でしょうか?

僕はナイジェリアの公用語のことを知りとても驚きました。
答えは明日のブログで書きます。お楽しみに。
ナイジェリアの国旗(ウィキペディアより)。

2013年5月22日水曜日

お医者さん、看護師さんにお手紙を書きました

僕が退院する日、お世話になったお医者さん、そして看護師さんにお手紙を書きました。50日間もの長い入院中、毎日ていねいに診察してやさしく看護してくれました。そのお礼の気持ちをこめて書きました。手紙を書き始めたら、すごくたくさんの皆さんにお世話になったことがわかりました。僕が手紙を書いたのは、主治医の先生、担当医の先生、研修医を終えたばかりの先生、研修医の先生、消火器内科の先生、看護師の皆さんです。本当にみなさん僕にやさしくしてくれて、とても嬉しかったし、皆さんのおかげで生き残ることができました。僕は、これほど良いお医者さんや看護師さんは見たことがありません。病気は苦しかったですけど、この病院に入院したおかげで、お医者さんたちや看護師さんの仕事を詳しく知ることが出来ましたし、医者になりたいと思っている気持ちが高まりました。本当にお世話になりました。

2013年5月20日月曜日

東京都埋蔵文化財センターに行ってきました!




今日は、学校の社会科見学で多摩にある東京都埋蔵文化財センターに行きました。そこには、縄文時代の遺跡や家、木などがあります。今回は、そこで僕が思ったことを書きます。
 縄文時代は、約1万6500年前から約3000年前だったそうです。
  ずーーーーーーーーっと昔のことです。
 皆さんは竪穴住居を知っていますか?その頃の人々が使っていた家のことを言うのだそうです。そのセンターでは、縄文時代に作った竪穴住居を今でも残しておいているそうです。そこの中に入ってみると・・・
 
  何と!!

僕たちが数か月前までよく行ったネパールの山奥の村の村とものすご~く似ていたのです。
今日見た家は、
僕が一人で十日間ホームスティしたヒマラヤの村の家と、
何もかもそっくりでした。

 地面に座ってみんなで輪になってご飯を食べたりすることや、地面が土だということ。電気がないということ(ネパールでは停電が激しく、ひどいときは1日16時間も停電します)、そして竹のにおいと火の煙。僕が懐かしくて思わず涙ぐんでしまうほど、ネパールの雰囲気ににていました。
 東京に帰ってきて、日本の学校に戻って日本での生活を頑張ろうと思っていましたので、いきなり目の前にネパールが戻ってきてとてもびっくりしました。それほどネパールと似ていたのです。1万年以上も前の日本にあったことが、現代のネパールにあるとはさすがに思いませんでした。
 皆さん、縄文時代を経験したいのなら、ネパールの山奥の村に行くことをお勧めします。

2013年5月18日土曜日

痛みについて

僕が一番苦しんでいたときです。そこにいるのは、僕です。
僕は膵炎になって、はげしい痛みに襲われました。あの時の痛みは、激しすぎて説明のしようがありません。皆さんに頑張って伝えようと、書き始めましたが、だめでした。でも、それは僕の日本語力が足りないからだと思います。これからはもっとたくさん日本語を勉強して、皆さんにあの時の痛みを伝えたいです。
 ちなみに、僕が経験した痛みは、陣痛のような痛みだったとお医者さんは言っていました。それに、その痛みが2日半も続いたのです。皆さんは、その痛みを想像することができますか?

とにかく!!生きていることができて良かったです。
 あまり長いブログを書くことができず、申し訳ありませんでした。

2013年5月16日木曜日

やっと学校に復帰できました!!

 今日、二年ぶりに日本の学校に行き友達と再会しました。
久しぶりの学校だったので、とても疲れましたが、でも楽しかったです。
 僕は、先生に礼拝(神などに祈りをささげることです。僕の学校は、キリスト教の学校なので、毎日一年生から六年生が集まってお祈りをします)の時間に自己紹介をするように言われました。
 2年ぶりの学校、久しぶりなので、第一印象を大事にしようと、面白いことをしゃべるつもりでした。
ですが!!
長いこと病院の個室にいたせいか、ステージに立った瞬間ものすごく緊張して言葉が出なくなってしまいました。

ですが、やっとのことで少しだけしゃべることが出来ました。でも、たいしたことが言えず残念でした。

2013年5月14日火曜日

聴診器について

 父から退院祝いで聴診器をもらいました。皆さんもご存知の通り、僕は医者になりたいです。なので、聴診器をもらった時は、とても嬉しかったです。
僕は、聴診器のことをあまり知りません。だから、勉強してみました。すると、聴診器はベル型と膜型があり、ベル型は低音(心音など)を聞けて、膜型は高音を聞けるのです。聴診器は心音や呼吸音、血圧を測るためなどに使われています。
 僕は、毎日聴診器のことについて勉強して、心音を聞いたり血圧も測っています。これから一年間で聴診器の使い方や、一つずつの音は何の音かなどをマスターしたいと思います。
 

2013年5月13日月曜日

ICU(集中治療室)、そしてHCU(重症患者病棟)

皆さん、ICU(集中治療室)やHCU(重症患者病棟)を知っていますか?
病院内の最も重症な患者さんが入る場所です。患者さんを24時間体制で管理し、命を守り、より効果的な治療をお医者さんと看護師が一生懸命に考えるのです

正式な英語名はICUは Intensive Care Unit、HCUは High Care Unit です。

僕も重症患者だったので集中治療室で1週間ほど、重症患者病棟で2週間以上入院しました。僕が入院した病院では(お医者さんによれば)ICUでは18人受け入れ可能だそうです。

この2つの施設では、心拍数、脈拍、呼吸数、サチュレーション(血中にある酸素量)などを24時間測り続けています。特にICUは、一人の患者に一人の看護師さんがついてくれて、すべて世話をしてくれます。僕はものすごい痛みと戦っていましたが、看護師さんがずっとついていてくれたので、とても助かりました。看病をしていた父母も少しは安心したと思います。
ICUです。

HCUです。
 




 

2013年5月12日日曜日

大静脈カテーテル

管を刺した直後の写真です。
膵炎で苦しんでいた時のことを書きます。膵炎のために、膵臓だけでなく他のいくつかの臓器も炎症を起こしていました。そのため、内臓に負担がかからないように、十日以上絶食しました。食べることも飲むこともできませんでした。ですが、生きるためには必ず栄養を入れないといけません。普通は、手に針を刺して点滴をつなぐのですが、それだと栄養が十分体の中に入って来れませんので、僕は首に針を刺して点滴をつなぐことになりました。それは、大静脈カテーテルと言うそうです。大静脈カテーテルについて、詳しくは↓をどうぞ。
http://www.med.nagoya-u.ac.jp/edu/skills/common/dl/cv_manual.pdf
大静脈カテーテルと言うのは、長さ30~70CMほどの管です。この管を首にある血管に入れるのです。
 大静脈カテーテルは、首に穴を開けて、エコー検査をしながらゆっくりと入れていきます。そして管を糸で首に固定して、出来上がりです。この作業は、だいたい30分くらいかかりました。
 僕はこの時も膵炎の痛みを抑える強い麻薬の痛み止めを使っていました。さらに 首にも麻酔をしていたので刺す痛みほとんどないはずでした。でも、僕は首にカテーテルを刺されるのが怖くて少し興奮してしまいました。そこでお医者さんが、僕を落ち着かせるために、麻薬の量を増やしました。そのため、意識が混濁してしまいました。結局作業は無事終わり、その後しばらくの期間、この大静脈カテーテルのおかげで僕は生きることができました。僕の首には、今でも、まだ管を入れた跡が残っています。

管の跡です。一番下が管で、上の三つは糸で固定した跡です。

2013年5月10日金曜日

糸結びを教えてもらったことについて

僕の後ろにいるのが、糸結びを教えてもらった元小児外科の○○先生です。
その後ろにいるのが、研修医の××先生です。
皆さん、お医者さんは手術するときに、病気や怪我のした場所の肌を切らなければなりません。他にも体内の内臓などを切ることもあります。そして、切ったら必ず閉めなくてはいけません。閉めるためには、糸でぬうのです。僕が入院していた時に、元小児外科の○○先生(今は小児科の先生で僕の担当医の先生でした)が僕に手術用の糸の特別な結び方を教えてくれました。この結び方だといくら解こうとしても絶対に解けません。三回違う結び方をして一セットの完成です。すごく難しかったのですが、先生が夜遅くに僕の部屋に来てわかりやすく教えてくれて、その後何度も練習していたらできるようになりました。

一セット分です。
手術の時には、このやり方で、何十回、時には何百回もぬわなくてはならないのです。

何十セットも僕が結びました。
たぶん小学生でこの結び方を知っている人はいないと言われました。お医者さんでも手術をしない人は知らないのだそうです。僕の最高の特技が出来ました!!
○○先生、本当にありがとうございました。





 

2013年5月9日木曜日

お医者さんや看護師さんはすごい!!

先生が採血をしています。この先生はとても採血が上手く、
刺したことも感じないくらいです。




  僕の将来の夢は、医者になることです。そのことは以前のブログでも書きました。→http://keishiseki.blogspot.jp/2012/09/blog-post_7.html
(今は広島大学以外でもいいかな、と思っていますが)

   できれば入院していたような大学病院で働けるといいと思っています。

 入院していた病院では毎日お医者さんが僕の部屋に来て、すごくていねいに診察し、面白い話もたくさん聞かせてくれました。

聴診器を使って胸やお腹の音を聞いてくださった先生。
レントゲンやエコー検査(超音波)の画像を見てくださった先生。
忙しいのに、たまに心配して話しかけにきてくれた先生。
心拍数を聴診器で測ってくださった看護師さん。
コンピューターに向かって、僕の病気について調べてくださった看護師さん。
退院するときに、忙しいのに部屋まで来て「がんばったね。」と言ってくださった看護師さん。


皆さんが僕の憧れです。このような先生や看護師さんに会えたおかげで、医療のことを知ることができましたし、自分が憧れる人たちを見つけることができました。病院の皆さん、本当にお世話になりました。そしてありがとうございました。

 これからは、まずしっかりと勉強して、本や、ネパールで友達になった医学部の学生の皆さんからも教えてもらい、将来は、この病院のお医者さんのように患者さんから信用される医者になりたいです。皆さんの応援、よろしくお願いします!!

2013年5月8日水曜日

退院しました!



退院の前に父ととった写真です。
前回も書いたように、僕は膵炎という病気で入院していました。二週間ほど絶食し、飲み物も飲まないでゆっくりと病気を治してきました。
数日前から急に体調がよくなり、ご飯も食べられるようになりました。首にカテーテルと言う管を入れて栄養を体の中に入れていましたが、それも抜いて栄養を自分で取れるようになりました。そして、さらに!!最近の血液検査の結果がよくて、
突然ですが!!
何と!!
僕は今日!!!
退院しました!!!
今はもう家にいます。
お腹の痛みはすぐにはすぐにはよくなりませんが、来週の水曜日に外来で診察してもらって大丈夫ならば、木曜日から学校に行っていいそうです。色々とご心配をおかけしました。
それにしても長い入院でした。父母から、たくさんの人々が僕のことを応援してくれたと聞きました。皆さんありがとうございました。

2013年5月1日水曜日

重症の患者になってしまいました。


皆さん。大変長い間ブログを書くことが出来ず、申し訳ありませんでした。
ご存知の方もいるかと思いますが、僕は腸チフスと言う感染症にかかり、326日に入院しました。そして、週間位で無事退院しました。しかし退院して数日して、チフスの抗生物質の副作用でなんと今度は石がおなか(胆嚢)の中にできてしまい、また入院しました。そして石を取るために、おなかの中に管を入れて手術をしました。ERCPという手術です。しかし、あると言われていた石が、なぜか手術のときにはもう無くなっていました。
ICUに移動するときの写真です。
 その日の夜中から、手術の副作用で今度は膵炎になってしまいました。ERCP後膵炎というのだそうです。血液検査で、膵臓の状態がわかるリパーゼの値が手術前は17(正常)だったのが、手術後に2500(全く正常ではありません)以上まであがってしまったのです。とても危険な状態でした。そして、その時何よりも辛かったのが、痛みです。赤ちゃんが生まれるときの陣痛と同じくらいの痛みを僕は2日半も経験したそうです。大声で叫びながら夜を過ごしました。嘔吐も20回ほどしました。
 何日もその痛みを我慢した後、お医者さんがやっとものすごく強い痛み止めを使ってくれました。これは麻薬の痛み止めで、本当に痛みの強い人にしか使わないそうです。ただ、この痛み止めを使うときには楽になりすぎて息をすることを忘れてしまうことがあるので、ICU(集中治療室)に行くことになりました。その痛み止めを使って30分後、本当に痛みがスーッとなくなりました。
ICUの中です。首にから薬や栄養が入っています。
 僕にとって、皆さんが今ふつうに経験しているような、おなかが痛くないということを天国のように思えた瞬間でした。
 そしてもう1つ。皆さんとは違うことがあります。僕は今、大静脈カテーテルと言う管(点滴用)から、栄養を入れています。首から血管に栄養を入れているのです。消化器の炎症があるから絶対に飲んだり食べたりしてはいけないのだそうです。10日以上もいっさい口に入れていません。だから、ものすごく喉が渇いています。


 僕は、まだ全く退院できる状態ではありません。学校にはいつ行けるのかも分かりません。でも、早く元気になって、学校に行きたいので、どうか皆さん、応援よろしくお願いします!!
 次ブログを書ける時がいつになるのか分かりませんが、楽しみにしていてください。また病院から書くと思いますが・・・。