2024年2月23日金曜日

アイデンティティの葛藤

 人生の分岐点において、アイデンティティクライシスに陥る。自分は何者なのか、自分の存在意義は何か、人生の目的は何か。就職活動においても、それまで必ずしも選択の必要が無かった人生の方向の選択を迫られることになる。それが大人になるということなのだろうか。だから人はモラトリウムの状態を心地よく感じるのだろうか。

 私はハーフだ。ハーフであるという事実のみで自分を判断されてしまい、アイデンティティに悩まされることがある。中学1年生の頃、入学したてでまだ友達もいなかった僕は、なぜか授業中にうるさくしてしまい、先生から怒鳴られ、廊下に出ろと命令された。その授業時間は自習に変わり、数十分がかりで担任と副担任に2対1で怒られた。先生が怒っている理由は当然僕がうるさくて授業の進行の邪魔をしたことだが、先生から衝撃的な言葉が放たれた。
「ここは日本なんだよ!!」
12歳の自分にとって、10年間住んだこの地が日本であることは自明だったのだが、その言葉の意図が「外国人のお前が日本に来たのだから、日本人の規範に従え」という意味であるのは容易に理解できた。
 レストランに行くとよく、店員さんから英語で話しかけられる。正直もうとっくに慣れているので、気にせず日本語で返答する。すると、大体の場合は少しびっくりした様子で何も言わないか、「日本語お上手ですね」と母国語の能力の高さを褒められるか。だが、一番面白いパターンは、こちらが日本語で話しているのに英語で話し続けてくる時だ。もしかしたら、僕の外見に囚われて、僕が発する日本語が店員さんの脳内には英語に自動変換されて届いているのかもしれない。

 逆に、ヨーロッパに来ると、僕は完全なアジア人として扱われる。
留学初期、たくさんの「ヨーロッパ人」に出会ったため、興味本意で自分が何人に見えるかを聞いてみた。シンガポール人、タイ人、中国人、とにかくアジアのどこか、日本人、韓国人と答えは様々であったが、日本にいると外国人に見られる僕は、ヨーロッパに来るとまた外国人なのだ。

 幸い、僕は日本に友達もネットワークもあるため、そこが自分の居場所だと感じることはできるのだが、時に、結局自分は何人なのだろうという悩みが脳内を駆け巡る。この悩みについて話したスピーチコンテストの動画もぜひ観ていただきたい。
暴挙(全英連英語スピーチコンテスト)[動画あり]

 そんなことを悩んだ末に出る答えは時によって様々だが、今分かっているのは、
1. 確実に日本人としてのアイデンティティの方が強い
2. ドイツ人としての自覚もあり、ヨーロッパにいる時に完全なアジア人として見られることにも少し抵抗がある
ということだけだ。今回ヨーロッパに住んだことで、自分の心は日本人だという感覚がより増したとともに、もっとドイツ人としてのアイデンティティも大切にしたいと思うようになった。

 そんな気持ちの僕は、3月中旬からのイースター休暇の際、ベルリンの親戚のご自宅に1ヶ月間住まわせていただくことになった。初めて第2の母国に住み、自分の気持ちはどう変化するのだろうか。

2011年の僕と兄と従兄弟たち


2024年2月15日木曜日

ICU(国際基督教大学)の魅力

 先週ICUの一般入試合格発表があった。僕の浪人終了が決まった日から丸3年。時の流れは早いようで短いようで、この3年が10年のようにも感じられるし、1年のようにも感じられる。不思議な感覚だ。

 僕は現役時代大学受験に全落ちし、浪人した。世間はコロナ禍で自粛ムードの2020年。浪人生からすると、"ステイホーム"生活はありがたい限り。そもそも浪人生たるもの予備校以外の外出はしないのが原則。しかも、現役合格した友達たちが大学生活を楽しんでいるのをSNSで見ることもない。さらに2020年はまだオンライン授業の仕組みが整っておらず、大学は混沌としていたと聞いた。浪人という選択は案外良かったのかもしれない。

 ICUは、国際基督教大学という名前から牧師養成学校と勘違いされることがあるが、全くそんなことはない。戦後、「キリスト教の精神に基づき、国際的社会人としての教養をもって、神と人とに奉仕する有為の人材を養成し、恒久平和の確立に資すること」を目的として建学されたのがICUである。僕は上智大学からも合格通知をいただいていたが、友人や家族、大学の先生方に相談をし、進路を決定した。

 ICUに進学することを決めた一番の要因は、学生・先生方が声をそろえて口にしていたこのセリフ。「たくさん勉強したいならICUがいいよ」。入学してからその意味がよく分かった。学生数の少なさ・国際的な雰囲気・求められる学習量ゆえ、大学生として学問を追求する環境が整っているのだ。
 まず、他大学と比べて圧倒的に少ない学生数ゆえ、1人1人が求めれば求めるだけの、最大限のサポートを教員・スタッフから得られる。教員との距離も近く、自宅に招待されて食事をすることも稀ではない。この環境は、ただ講義を受けるだけではなく、学生・教員と密に対話をし、より多く考え、より深く学ぶことに繋がる。
 次に、ICUが「国際的社会人」の育成を目指しているという文言の通り、英語ができて当たり前な環境がある。授業は約半分が英語が主言語であるし、1年目はほとんどが英語で行われ、学生は皆、英語で講義を受けるだけの英語力を身につけている。これは「国際人」としての価値観を身につける上で重要だと思う。人が何をすごいと感じ、何を目標にするかは、その人を取り巻く環境が多分に影響していると思うが、ICUでは英語が話せることがすごいのではなく、どの言語にせよ、何を話せるか、つまり教養・知識が求められるのだ。

 そして最後に、必要な学習量が日本の他大学に比べて多いと感じる。3学期制で、1つの授業が週に3回行われる(ことが多い)こと、そもそも課題や必要な読書量がとても多いことが必然と1日の学習量を増やす。さらにリベラルアーツ教育を採用しているため、非常に多くの学問を横断的に学ぶため、獲得できる教養・知識の幅がとても広いのだ。総じて、大学に何を求めるかの基準は人それぞれであるが、学問を追求したいなら最適な大学だと思う。

 間も無く4年生になる。『恋愛における男性の「責任」の考え方と教育との関係』というテーマで卒業研究に励む。人生の可能性は無限だ。毎晩、「今日は最高な一日だった!と自信を持って言えるように生きたい。

ICUの学内の雰囲気


2024年2月9日金曜日

スターバックスから見るトルコのカフェ文化と喫煙率

  先週の木曜日の夕方、ふと思い立ち、Skyscannerという格安航空券の予約サイトを開いた。すると、ニューカッスル(最寄りの空港)からトルコのアンタルヤへの激安航空券を見つけ、ノリで予約してしまった。しかもフライトは翌日の朝10時。急いで荷造りをし、3泊の旅がスタートした。弾丸一人旅、とでも呼んでしまおうか。

 アンタルヤはトルコ随一のリゾート地。年間晴天日数300日以上という過ごしやすさとアジア・ヨーロッパからのアクセスのしやすさ、そして安い物価(ミネラルウォーター1本20円、タクシー初乗り100円)が魅力で、毎年多くの観光客が足を運ぶ。2月なのにも関わらず、気温は18度。雪が降るダラムから、南国に辿り着いた気分だった

 僕は新しい国を訪れる際、必ずやることがある。スターバックス見学だ。実は、大学入学直後からスターバックスでアルバイトをしており、日本でも行ったことのない店舗を見つけると入店せずにはいられないほどのスターバックス好きで、アルバイトを始めてから今までに11カ国で約100店舗を訪れた。日本だけでも約1900店舗あるスターバックスは、店舗ごとに雰囲気も違えば店内環境も異なる。ましてや海外ともなれば尚更だ。他店舗で学んだことを持ち帰り、自店舗をより良くしていく方法を探っている。

 今回の旅行でも当然、ホテル到着後真っ先に近くにあるスターバックスを目指した。やはり、どの国・どの地域にも当たり前のようにあるスタバはすごいと思った。歩くこと3分、象徴であるサイレンのロゴが僕を迎えてくれた。「おかえりなさい」とその人魚が言ってくれているような気がして(そんなわけない)、心の中で「ただいま」と呟いてみた。一人旅は寂しいから、そんなことをしていないとやっていられない。

 しかし、この店舗は今まで訪れてきたスターバックスとは全く雰囲気が異なり、ナイトバーを彷彿とさせるような風貌だった。

僕は「何撮ってんだ」という視線を過敏に感じてしまう性格なため、
急いでシャッターを切り、分かりにくい写真になってしまった。

 とにかくテラス座席が広すぎるし、ほぼ満席状態。逆に、店内座席を利用している人はほとんどいない。今まで訪れた店舗のほとんどは店内座席の利用が基本でテラス座席は数席のみだったため、とても違和感を覚えた。しかし、テラスに足を踏み入れるとその理由がすぐに分かった。一人残らずタバコを吸っていたのである。

 また、街を散歩すると夜10時を回っているのに多くのカフェが営業しており、テラス席は混雑。そこでも皆タバコを吸っていた。さらに、他のスターバックスにも同様に大きなテラス席があり、利用率は高かった。つまり、スターバックスのテラス席が広いのは、「カフェでの喫煙希望者」という顧客層を呼び込むためなのではないか。スターバックス見学として店内を細部まで観察しようとしていたが、気付けばテラス席のことで頭がいっぱいになっていた。

アンタルヤにある別のスターバックスの店舗

 そこでまず国別喫煙率のデータを調べた。WHOが発表した2023年版の世界保健統計によると、日本の喫煙率は20.1%で世界89位に対し、トルコは30.7%で28位。喫煙率はトルコの方が高い。しかしここで2つの疑問が浮かび上がった。一つ目は、日本とトルコとの喫煙率に大差がないと感じたこと。日本は5人に1人が喫煙者なのに対し、トルコは4人に1人。この違いが、スターバックスのテラスの大きさ・利用率をここまで変えるとは思えない。二つ目は、喫煙率がトルコより高い19位のフランスとの比較。僕は12月にパリを訪れ、もちろんスターバックス見学もしたのだが、僕が見たパリの5店舗にはいずれも小さなテラス席しかないか、店内座席のみだった。だとすると、トルコのスターバックスのテラス席が広いのは、喫煙率の高さのみが影響しているわけではないと思った。

 次に、僕が宿泊していたホテルの従業員の方にトルコの喫煙事情について聞いてみた。彼はタバコを吸わないそうだが、「昔はみんな吸っていたよ」と言う。ただ、ここ10年で喫煙率は徐々に減少しているらしい。路上喫煙も問題なく、タバコに対する考え方が日本と比べ大分オープンであるという印象を受けた。カフェのテラス席が多いことについても聞きたかったが、忘れていた。そんなこともある。

 喫煙率だけが原因ではないのなら、カフェが大切な交流の場であるという文化的価値観が根付いているのではないかと考えた。よく見ると、1人でカフェを利用している人が少なく、ほぼ全員が複数人で談笑していたのだ。また、高校の世界史で、中世だかいつかのカフェは文化の中心地で、そこから宗教が生まれたり政治が行われたりしていたということを習った覚えがあった。そこで、インターネットで調べてみた。すると、何とトルコはカフェの発祥地らしい。16世紀、オスマン帝国時代にコーヒーが持ち込まれ、世界初のコーヒーハウスができた。そしてやはり、カフェが社交の場となっており、文化、哲学、宗教が語られる文化の中心地だったそうなのだ。

 なるほど。では、トルコのスターバックスでテラス席がとても広く、タバコを吸いながら複数人で利用している客が多かったのは、カフェが未だに社交の場として用いられていること、比較的高い喫煙率、そしてタバコにオープンな文化が理由なのだろう。そう自分の中で結論づけ、ようやくスターバックス見学が再開した。

生まれて初めて飲んだトルココーヒー。
水から煮立て、上澄みだけを飲む淹れ方らしい。
エスプレッソショットに近い味わいかと思えば、下の方はドロドロで面白かった。

 

2024年2月7日水曜日

パーソナルスペース

 ダラム大学での留学生活が始まってから4ヶ月が経過した。初めて親元を離れての一人暮らし。それもイギリス。真っ新な部屋を自分好みにアレンジしていく。それはそれで楽しいものだが、コップからお皿、石鹸、枕、テーブルランプ、ハンガー、何から何まで自分で揃えなくてはいけない。いかに実家に物が揃っていて住みやすかったかを実感した。
 そんなことはさておき、今回は僕がダラムに留学して最初に感じた文化の違いについて書きたい。

 ダラムはイギリス北部、スコットランドからそう遠くない田舎町だ。田舎なだけあって、自然で溢れた広大な街だというイメージがあったが、実際街中はコンパクトで、20分も歩けば端から端まで行けてしまう。
 ダラムの特徴として、とにかく道が狭い。二人並んで歩くのが限界、という道がとても多いのだ。そんな狭い道だが、大多数が生活を徒歩で完結させているため、人の移動は激しい。  
 留学生活2日目。僕は一人で大学のオリエンテーションに向かって歩いていたのだが、向かいから二人組の大学生らしき人が歩いてきた。当然道が狭いため、譲り合わないといけない。僕は思い切り体を縮め、相手を避けようとした。しかしながら、その二人組は僕のことを気にも止めず、早足ですれ違った。
「バン!」
肩が強くぶつかった。これは人種差別か?ふとそう思った。
 アジア人がヨーロッパで差別に遭う話はよく聞く。僕は日本にいたら外国人、またはハーフだと思われるが、ヨーロッパにいると僕は純アジア人として見られる。そう考えると、差別され、肩をぶつけようと思われてもおかしくないのだと考えた。
 しかし、これだけではなかった。大学までの10分の道中で三度も肩をぶつけられてしまったのだ。1人目は大柄な男性だったが、2人目と3人目は小柄な女性。僕は呆然とした。

 幸い、僕が通う国際基督教大学(ICU)からダラム大学に5人の日本人が交換留学をしており、心の支えとなっている。その友達たちと食事に行った時、このことを話した。すると、みんな同じ経験をしていたのである。とても驚いた。しかし、何かがおかしい。差別的な目を向けられたとは言え、みんなが同じ被害に遭うなんて有り得るのか。気になって僕は、「イギリス 肩がぶつかる」とインターネットで検索してみた。すると、興味深い論文を見つけた。

 イギリス人の社会人類学者ケイト・フォックスが路上で人にぶつかった時にイギリス人が"Sorry"と謝るのかどうかを実験した(イギリス人は、とにかく"Sorry"を多用する)。これはロンドンとオックスフォードで行われ、比較として日本人やアメリカ人など6カ国の観光客にも同様にぶつかった。結果、イギリス人はぶつかると瞬時に"Sorry"と言った("English sorry-reflex")が、他の国の人々は別の反応を示したらしい。その中でも、日本人は比較的イギリス人と近い反応を示したとのことだ。
Only the Japanese (surprise, surprise) seemed to have anything even approaching the English sorry-reflex, and they were frustratingly difficult to experiment on, as they appeared to be remarkably adept at sidestepping my attempted collisions. This is not to say that my bumpees of other nationalities were discourteous or unpleasant – most just said ‘Careful!’ or ‘Watch out!’ (or the equivalent in their own language), and many reacted in a positively friendly manner, putting out a helpful arm to steady me, sometimes even solicitously checking that I was unhurt before moving on – but the automatic ‘sorry’ did seem to be a peculiarly English response. (FOX, 2004, p.57)
 この研究の面白い部分は、日本人とぶつかろうとしたときの結果だ(太字部分)。日本人以外の被験者には普通にぶつかることができるが、何と日本人はぶつかろうとしてもいとも簡単に避けてしまうため、実験を行うことがとても大変だったそうだ。

 確かに、僕は日本で歩いている時に誰かとぶつかる経験をした記憶がない。これはなぜなのだろうと考えてみた。もしかしたら、日本人は他の国の人々よりパーソナルスペースが広いのではないか。
 こう実感したのはエピソードは他にもある。ダラムで列に並んでいた時のこと。日本では普通、前後の人とは一定間隔距離を置いて、暗黙の了解でその距離を縮めないようにしていると思う。しかしダラムでは別だった。皆平気で列を詰めてきて、平気で接触する。最初はただ僕のパーソナルスペースに「侵略」してくることにイライラしていたが、単純にパーソナルスペースの範囲が文化によって異なるだけなのかもしれないと気づいた。
 こう考えてから街を歩き始めると、皆僕に意図的にぶつかりに来る「当たり屋」というわけではなく、単純に彼らの感覚で距離を測っているだけだと気づいた。そこからというもの、相手が避けてくれなかったり、肩がぶつかってしまったりしてもあまり気にしなくなった。

  ただ、たまに、この人は道を譲り合う気持ちが全くないのではないか、と思うような歩き方をする人もいる。そういう時は、あえて彼らのパーソナルスペースに一瞬だけ入り込み、「譲り合わせる」という術も身につけた。脳内で勝手に攻防戦を繰り広げている。 
 意外なところで文化の違いを感じた、留学生活の始まりだった。 

 引用文献 
 FOX, Kate (2004). Watching the English - The Hidden Rules of English Behaviour. London: Hodder and Stoughton Ltd. 424 pp. Campos : Revista De Antropologia Social, 7(2), 125-128. 10.5380/cam.v7i2.7444. https://edisciplinas.usp.br/pluginfile.php/4434518/mod_resource/content/1/Watching%20the%20English.pdf