2012年10月9日火曜日

ベトナム戦争博物館(苦しかったです)



 今日は昨日訪れたベトナム戦争博物館のことについて書きます。
 僕は五年前に一度この博物館に行ったことがありますが、まだ六才だったのであまりよく覚えていません。でも今回はしっかりと勉強してきました。カンボジアではポルポトによる大虐殺について見ましたが、この悲惨な出来事とベトナム戦争はつながっていることがわかり、さらに悲しく思いました。
 この博物館に展示されいる写真はとても恐ろしく、僕は正直に言うと外に逃げたくなりました。しかし、せっかく来たのだから、しっかり勉強しなければならないと思いがんばりました。
 まず、ベトナム戦争について簡単に説明します。すごく難しいのでうまく説明できないと思いますが、許してください。
 ベトナム戦争は北ベトナム対南ベトナムの戦いでした。南ベトナムの仲間はアメリカなどです。一方、北ベトナムの仲間は、中国、ロシア(ソビエト)などです。ベトナムは昔フランスの植民地でした。第二次世界大戦が終わった後、ベトナムは二つに分かれてしまいました。アメリカは共産主事が強くならないように南ベトナムを応援しました。北ベトナムは共産主義の国であるロシアや中国が応援しました。だから、ベトナム戦争は戦争した場所はベトナムでしたが、本当はいろいろな国が参加していました。
 アメリカは南ベトナムの武器などのためにたくさんのお金を使い、兵士もたくさんベトナムに戦いに行きました。戦争はアメリカが仲間の南ベトナムのペースで進んでいきました。ですが、北ベトナムも絶対に負けないようにがんばりました。
アメリカはいろいろな武器を持っていて、とにかく何とかして北ベトナムをやっつけようとしました。例えば、枯葉剤という薬で森の緑を枯れさせ、人を見えるようにしたこともありました。その薬にはダイオキシンという毒が入っていて、体の中に入ると、がんになったり生まれてくる子供にも影響するそうです。
ベトさんとドクさんのことを知っていますか?母親フエは終戦の1年後に枯葉剤のまかれた地域に移住し、農業を行っていた。彼女は枯葉剤のまかれた井戸で水を飲んだという。」と
ウィキペディアに書いてありました。母親というのはベトさんとドクさんのお母さんです。


他にもあまりにひどいことがたくさんありましたが、全部書くことはできません。後は写真をのせるので見てください。こんなにひどいことは絶対にしてはいけません!!








 


 

 

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