2024年2月7日水曜日

パーソナルスペース

 ダラム大学での留学生活が始まってから4ヶ月が経過した。初めて親元を離れての一人暮らし。それもイギリス。真っ新な部屋を自分好みにアレンジしていく。それはそれで楽しいものだが、コップからお皿、石鹸、枕、テーブルランプ、ハンガー、何から何まで自分で揃えなくてはいけない。いかに実家に物が揃っていて住みやすかったかを実感した。
 そんなことはさておき、今回は僕がダラムに留学して最初に感じた文化の違いについて書きたい。

 ダラムはイギリス北部、スコットランドからそう遠くない田舎町だ。田舎なだけあって、自然で溢れた広大な街だというイメージがあったが、実際街中はコンパクトで、20分も歩けば端から端まで行けてしまう。
 ダラムの特徴として、とにかく道が狭い。二人並んで歩くのが限界、という道がとても多いのだ。そんな狭い道だが、大多数が生活を徒歩で完結させているため、人の移動は激しい。  
 留学生活2日目。僕は一人で大学のオリエンテーションに向かって歩いていたのだが、向かいから二人組の大学生らしき人が歩いてきた。当然道が狭いため、譲り合わないといけない。僕は思い切り体を縮め、相手を避けようとした。しかしながら、その二人組は僕のことを気にも止めず、早足ですれ違った。
「バン!」
肩が強くぶつかった。これは人種差別か?ふとそう思った。
 アジア人がヨーロッパで差別に遭う話はよく聞く。僕は日本にいたら外国人、またはハーフだと思われるが、ヨーロッパにいると僕は純アジア人として見られる。そう考えると、差別され、肩をぶつけようと思われてもおかしくないのだと考えた。
 しかし、これだけではなかった。大学までの10分の道中で三度も肩をぶつけられてしまったのだ。1人目は大柄な男性だったが、2人目と3人目は小柄な女性。僕は呆然とした。

 幸い、僕が通う国際基督教大学(ICU)からダラム大学に5人の日本人が交換留学をしており、心の支えとなっている。その友達たちと食事に行った時、このことを話した。すると、みんな同じ経験をしていたのである。とても驚いた。しかし、何かがおかしい。差別的な目を向けられたとは言え、みんなが同じ被害に遭うなんて有り得るのか。気になって僕は、「イギリス 肩がぶつかる」とインターネットで検索してみた。すると、興味深い論文を見つけた。

 イギリス人の社会人類学者ケイト・フォックスが路上で人にぶつかった時にイギリス人が"Sorry"と謝るのかどうかを実験した(イギリス人は、とにかく"Sorry"を多用する)。これはロンドンとオックスフォードで行われ、比較として日本人やアメリカ人など6カ国の観光客にも同様にぶつかった。結果、イギリス人はぶつかると瞬時に"Sorry"と言った("English sorry-reflex")が、他の国の人々は別の反応を示したらしい。その中でも、日本人は比較的イギリス人と近い反応を示したとのことだ。
Only the Japanese (surprise, surprise) seemed to have anything even approaching the English sorry-reflex, and they were frustratingly difficult to experiment on, as they appeared to be remarkably adept at sidestepping my attempted collisions. This is not to say that my bumpees of other nationalities were discourteous or unpleasant – most just said ‘Careful!’ or ‘Watch out!’ (or the equivalent in their own language), and many reacted in a positively friendly manner, putting out a helpful arm to steady me, sometimes even solicitously checking that I was unhurt before moving on – but the automatic ‘sorry’ did seem to be a peculiarly English response. (FOX, 2004, p.57)
 この研究の面白い部分は、日本人とぶつかろうとしたときの結果だ(太字部分)。日本人以外の被験者には普通にぶつかることができるが、何と日本人はぶつかろうとしてもいとも簡単に避けてしまうため、実験を行うことがとても大変だったそうだ。

 確かに、僕は日本で歩いている時に誰かとぶつかる経験をした記憶がない。これはなぜなのだろうと考えてみた。もしかしたら、日本人は他の国の人々よりパーソナルスペースが広いのではないか。
 こう実感したのはエピソードは他にもある。ダラムで列に並んでいた時のこと。日本では普通、前後の人とは一定間隔距離を置いて、暗黙の了解でその距離を縮めないようにしていると思う。しかしダラムでは別だった。皆平気で列を詰めてきて、平気で接触する。最初はただ僕のパーソナルスペースに「侵略」してくることにイライラしていたが、単純にパーソナルスペースの範囲が文化によって異なるだけなのかもしれないと気づいた。
 こう考えてから街を歩き始めると、皆僕に意図的にぶつかりに来る「当たり屋」というわけではなく、単純に彼らの感覚で距離を測っているだけだと気づいた。そこからというもの、相手が避けてくれなかったり、肩がぶつかってしまったりしてもあまり気にしなくなった。

  ただ、たまに、この人は道を譲り合う気持ちが全くないのではないか、と思うような歩き方をする人もいる。そういう時は、あえて彼らのパーソナルスペースに一瞬だけ入り込み、「譲り合わせる」という術も身につけた。脳内で勝手に攻防戦を繰り広げている。 
 意外なところで文化の違いを感じた、留学生活の始まりだった。 

 引用文献 
 FOX, Kate (2004). Watching the English - The Hidden Rules of English Behaviour. London: Hodder and Stoughton Ltd. 424 pp. Campos : Revista De Antropologia Social, 7(2), 125-128. 10.5380/cam.v7i2.7444. https://edisciplinas.usp.br/pluginfile.php/4434518/mod_resource/content/1/Watching%20the%20English.pdf

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