2013年5月25日土曜日

ナイジェリアの公用語

皆さん、前回のブログでナイジェリアの公用語は何語かと言うクイズを出しました。今回は、答えとその理由を発表します。

 ナイジェリアの公用語は・・・英語です!!

僕は、理由をよく知らなかったので、父に聞いてみました。すると・・・

ナイジェリアは、昔はイギリスの植民地だったそうです。その影響で皆英語を使うようになったのです。今は独立していますが、国内には500以上の現地語があり、同じくらいの数の民族がいます。だから、民族が違う人たちと話すときに現地の言葉だと通じにくいので、英語を公用語に選んだそうです。
 ちなみに僕が住んでいたネパールもたくさんの現地語がありましたが、公用語はネパール語でした。

2013年5月23日木曜日

ナイジェリアについて


今日僕は学校の課題でアフリカのことを調べることになりました。そこで図書館で資料を探したのですが、ナイジェリアのものしか見つけることができなかったのでナイジェリアについて調べることにしました。
 ナイジェリアは、アフリカでも最も国土が広い国です。ですが、貧しく治安が悪いそうです。

 さて、突然ですが、ここで皆さんにクイズです。

ナイジェリアの公用語は何語でしょうか?

僕はナイジェリアの公用語のことを知りとても驚きました。
答えは明日のブログで書きます。お楽しみに。
ナイジェリアの国旗(ウィキペディアより)。

2013年5月22日水曜日

お医者さん、看護師さんにお手紙を書きました

僕が退院する日、お世話になったお医者さん、そして看護師さんにお手紙を書きました。50日間もの長い入院中、毎日ていねいに診察してやさしく看護してくれました。そのお礼の気持ちをこめて書きました。手紙を書き始めたら、すごくたくさんの皆さんにお世話になったことがわかりました。僕が手紙を書いたのは、主治医の先生、担当医の先生、研修医を終えたばかりの先生、研修医の先生、消火器内科の先生、看護師の皆さんです。本当にみなさん僕にやさしくしてくれて、とても嬉しかったし、皆さんのおかげで生き残ることができました。僕は、これほど良いお医者さんや看護師さんは見たことがありません。病気は苦しかったですけど、この病院に入院したおかげで、お医者さんたちや看護師さんの仕事を詳しく知ることが出来ましたし、医者になりたいと思っている気持ちが高まりました。本当にお世話になりました。

2013年5月20日月曜日

東京都埋蔵文化財センターに行ってきました!




今日は、学校の社会科見学で多摩にある東京都埋蔵文化財センターに行きました。そこには、縄文時代の遺跡や家、木などがあります。今回は、そこで僕が思ったことを書きます。
 縄文時代は、約1万6500年前から約3000年前だったそうです。
  ずーーーーーーーーっと昔のことです。
 皆さんは竪穴住居を知っていますか?その頃の人々が使っていた家のことを言うのだそうです。そのセンターでは、縄文時代に作った竪穴住居を今でも残しておいているそうです。そこの中に入ってみると・・・
 
  何と!!

僕たちが数か月前までよく行ったネパールの山奥の村の村とものすご~く似ていたのです。
今日見た家は、
僕が一人で十日間ホームスティしたヒマラヤの村の家と、
何もかもそっくりでした。

 地面に座ってみんなで輪になってご飯を食べたりすることや、地面が土だということ。電気がないということ(ネパールでは停電が激しく、ひどいときは1日16時間も停電します)、そして竹のにおいと火の煙。僕が懐かしくて思わず涙ぐんでしまうほど、ネパールの雰囲気ににていました。
 東京に帰ってきて、日本の学校に戻って日本での生活を頑張ろうと思っていましたので、いきなり目の前にネパールが戻ってきてとてもびっくりしました。それほどネパールと似ていたのです。1万年以上も前の日本にあったことが、現代のネパールにあるとはさすがに思いませんでした。
 皆さん、縄文時代を経験したいのなら、ネパールの山奥の村に行くことをお勧めします。

2013年5月18日土曜日

痛みについて

僕が一番苦しんでいたときです。そこにいるのは、僕です。
僕は膵炎になって、はげしい痛みに襲われました。あの時の痛みは、激しすぎて説明のしようがありません。皆さんに頑張って伝えようと、書き始めましたが、だめでした。でも、それは僕の日本語力が足りないからだと思います。これからはもっとたくさん日本語を勉強して、皆さんにあの時の痛みを伝えたいです。
 ちなみに、僕が経験した痛みは、陣痛のような痛みだったとお医者さんは言っていました。それに、その痛みが2日半も続いたのです。皆さんは、その痛みを想像することができますか?

とにかく!!生きていることができて良かったです。
 あまり長いブログを書くことができず、申し訳ありませんでした。

2013年5月16日木曜日

やっと学校に復帰できました!!

 今日、二年ぶりに日本の学校に行き友達と再会しました。
久しぶりの学校だったので、とても疲れましたが、でも楽しかったです。
 僕は、先生に礼拝(神などに祈りをささげることです。僕の学校は、キリスト教の学校なので、毎日一年生から六年生が集まってお祈りをします)の時間に自己紹介をするように言われました。
 2年ぶりの学校、久しぶりなので、第一印象を大事にしようと、面白いことをしゃべるつもりでした。
ですが!!
長いこと病院の個室にいたせいか、ステージに立った瞬間ものすごく緊張して言葉が出なくなってしまいました。

ですが、やっとのことで少しだけしゃべることが出来ました。でも、たいしたことが言えず残念でした。

2013年5月14日火曜日

聴診器について

 父から退院祝いで聴診器をもらいました。皆さんもご存知の通り、僕は医者になりたいです。なので、聴診器をもらった時は、とても嬉しかったです。
僕は、聴診器のことをあまり知りません。だから、勉強してみました。すると、聴診器はベル型と膜型があり、ベル型は低音(心音など)を聞けて、膜型は高音を聞けるのです。聴診器は心音や呼吸音、血圧を測るためなどに使われています。
 僕は、毎日聴診器のことについて勉強して、心音を聞いたり血圧も測っています。これから一年間で聴診器の使い方や、一つずつの音は何の音かなどをマスターしたいと思います。
 

2013年5月13日月曜日

ICU(集中治療室)、そしてHCU(重症患者病棟)

皆さん、ICU(集中治療室)やHCU(重症患者病棟)を知っていますか?
病院内の最も重症な患者さんが入る場所です。患者さんを24時間体制で管理し、命を守り、より効果的な治療をお医者さんと看護師が一生懸命に考えるのです。

正式な英語名はICUは Intensive Care Unit、HCUは High Care Unit です。

僕も重症患者だったので集中治療室で1週間ほど、重症患者病棟で2週間以上入院しました。僕が入院した病院では(お医者さんによれば)ICUでは18人受け入れ可能だそうです。

この2つの施設では、心拍数、脈拍、呼吸数、サチュレーション(血中にある酸素量)などを24時間測り続けています。特にICUは、一人の患者に一人の看護師さんがついてくれて、すべて世話をしてくれます。僕はものすごい痛みと戦っていましたが、看護師さんがずっとついていてくれたので、とても助かりました。看病をしていた父母も少しは安心したと思います。
ICUです。

HCUです。
 




 

2013年5月12日日曜日

大静脈カテーテル

管を刺した直後の写真です。
膵炎で苦しんでいた時のことを書きます。膵炎のために、膵臓だけでなく他のいくつかの臓器も炎症を起こしていました。そのため、内臓に負担がかからないように、十日以上絶食しました。食べることも飲むこともできませんでした。ですが、生きるためには必ず栄養を入れないといけません。普通は、手に針を刺して点滴をつなぐのですが、それだと栄養が十分体の中に入って来れませんので、僕は首に針を刺して点滴をつなぐことになりました。それは、大静脈カテーテルと言うそうです。大静脈カテーテルについて、詳しくは↓をどうぞ。
http://www.med.nagoya-u.ac.jp/edu/skills/common/dl/cv_manual.pdf
大静脈カテーテルと言うのは、長さ30~70CMほどの管です。この管を首にある血管に入れるのです。
 大静脈カテーテルは、首に穴を開けて、エコー検査をしながらゆっくりと入れていきます。そして管を糸で首に固定して、出来上がりです。この作業は、だいたい30分くらいかかりました。
 僕はこの時も膵炎の痛みを抑える強い麻薬の痛み止めを使っていました。さらに 首にも麻酔をしていたので刺す痛みほとんどないはずでした。でも、僕は首にカテーテルを刺されるのが怖くて少し興奮してしまいました。そこでお医者さんが、僕を落ち着かせるために、麻薬の量を増やしました。そのため、意識が混濁してしまいました。結局作業は無事終わり、その後しばらくの期間、この大静脈カテーテルのおかげで僕は生きることができました。僕の首には、今でも、まだ管を入れた跡が残っています。

管の跡です。一番下が管で、上の三つは糸で固定した跡です。

2013年5月10日金曜日

糸結びを教えてもらったことについて

僕の後ろにいるのが、糸結びを教えてもらった元小児外科の○○先生です。
その後ろにいるのが、研修医の××先生です。
皆さん、お医者さんは手術するときに、病気や怪我のした場所の肌を切らなければなりません。他にも体内の内臓などを切ることもあります。そして、切ったら必ず閉めなくてはいけません。閉めるためには、糸でぬうのです。僕が入院していた時に、元小児外科の○○先生(今は小児科の先生で僕の担当医の先生でした)が僕に手術用の糸の特別な結び方を教えてくれました。この結び方だといくら解こうとしても絶対に解けません。三回違う結び方をして一セットの完成です。すごく難しかったのですが、先生が夜遅くに僕の部屋に来てわかりやすく教えてくれて、その後何度も練習していたらできるようになりました。

一セット分です。
手術の時には、このやり方で、何十回、時には何百回もぬわなくてはならないのです。

何十セットも僕が結びました。
たぶん小学生でこの結び方を知っている人はいないと言われました。お医者さんでも手術をしない人は知らないのだそうです。僕の最高の特技が出来ました!!
○○先生、本当にありがとうございました。





 

2013年5月9日木曜日

お医者さんや看護師さんはすごい!!

先生が採血をしています。この先生はとても採血が上手く、
刺したことも感じないくらいです。




  僕の将来の夢は、医者になることです。そのことは以前のブログでも書きました。→http://keishiseki.blogspot.jp/2012/09/blog-post_7.html
(今は広島大学以外でもいいかな、と思っていますが)

   できれば入院していたような大学病院で働けるといいと思っています。

 入院していた病院では毎日お医者さんが僕の部屋に来て、すごくていねいに診察し、面白い話もたくさん聞かせてくれました。

聴診器を使って胸やお腹の音を聞いてくださった先生。
レントゲンやエコー検査(超音波)の画像を見てくださった先生。
忙しいのに、たまに心配して話しかけにきてくれた先生。
心拍数を聴診器で測ってくださった看護師さん。
コンピューターに向かって、僕の病気について調べてくださった看護師さん。
退院するときに、忙しいのに部屋まで来て「がんばったね。」と言ってくださった看護師さん。


皆さんが僕の憧れです。このような先生や看護師さんに会えたおかげで、医療のことを知ることができましたし、自分が憧れる人たちを見つけることができました。病院の皆さん、本当にお世話になりました。そしてありがとうございました。

 これからは、まずしっかりと勉強して、本や、ネパールで友達になった医学部の学生の皆さんからも教えてもらい、将来は、この病院のお医者さんのように患者さんから信用される医者になりたいです。皆さんの応援、よろしくお願いします!!

2013年5月8日水曜日

退院しました!



退院の前に父ととった写真です。
前回も書いたように、僕は膵炎という病気で入院していました。二週間ほど絶食し、飲み物も飲まないでゆっくりと病気を治してきました。
数日前から急に体調がよくなり、ご飯も食べられるようになりました。首にカテーテルと言う管を入れて栄養を体の中に入れていましたが、それも抜いて栄養を自分で取れるようになりました。そして、さらに!!最近の血液検査の結果がよくて、
突然ですが!!
何と!!
僕は今日!!!
退院しました!!!
今はもう家にいます。
お腹の痛みはすぐにはすぐにはよくなりませんが、来週の水曜日に外来で診察してもらって大丈夫ならば、木曜日から学校に行っていいそうです。色々とご心配をおかけしました。
それにしても長い入院でした。父母から、たくさんの人々が僕のことを応援してくれたと聞きました。皆さんありがとうございました。

2013年5月1日水曜日

重症の患者になってしまいました。


皆さん。大変長い間ブログを書くことが出来ず、申し訳ありませんでした。
ご存知の方もいるかと思いますが、僕は腸チフスと言う感染症にかかり、3月26日に入院しました。そして、三週間位で無事退院しました。しかし退院して数日して、チフスの抗生物質の副作用でなんと今度は石がおなか(胆嚢)の中にできてしまい、また入院しました。そして石を取るために、おなかの中に管を入れて手術をしました。ERCPという手術です。しかし、あると言われていた石が、なぜか手術のときにはもう無くなっていました。
ICUに移動するときの写真です。
 その日の夜中から、手術の副作用で今度は膵炎になってしまいました。ERCP後膵炎というのだそうです。血液検査で、膵臓の状態がわかるリパーゼの値が手術前は17(正常)だったのが、手術後に2500(全く正常ではありません)以上まであがってしまったのです。とても危険な状態でした。そして、その時何よりも辛かったのが、痛みです。赤ちゃんが生まれるときの陣痛と同じくらいの痛みを僕は2日半も経験したそうです。大声で叫びながら夜を過ごしました。嘔吐も20回ほどしました。
 何日もその痛みを我慢した後、お医者さんがやっとものすごく強い痛み止めを使ってくれました。これは麻薬の痛み止めで、本当に痛みの強い人にしか使わないそうです。ただ、この痛み止めを使うときには楽になりすぎて息をすることを忘れてしまうことがあるので、ICU(集中治療室)に行くことになりました。その痛み止めを使って30分後、本当に痛みがスーッとなくなりました。
ICUの中です。首にから薬や栄養が入っています。
 僕にとって、皆さんが今ふつうに経験しているような、おなかが痛くないということを天国のように思えた瞬間でした。
 そしてもう1つ。皆さんとは違うことがあります。僕は今、大静脈カテーテルと言う管(点滴用)から、栄養を入れています。首から血管に栄養を入れているのです。消化器の炎症があるから絶対に飲んだり食べたりしてはいけないのだそうです。10日以上もいっさい口に入れていません。だから、ものすごく喉が渇いています。


 僕は、まだ全く退院できる状態ではありません。学校にはいつ行けるのかも分かりません。でも、早く元気になって、学校に行きたいので、どうか皆さん、応援よろしくお願いします!!
 次ブログを書ける時がいつになるのか分かりませんが、楽しみにしていてください。また病院から書くと思いますが・・・。

2013年4月16日火曜日

人が生きる意味

皆さん、お久しぶりです。僕は無事、退院しました。まだ完璧に治ったというわけではありませんが、まあまあ大丈夫です。ご心配をおかけして、申し訳ありません。今日からは、僕が入院していた頃に自分が手書きでメモしていたことなどを書きます。
 

 僕は、腸チフスという病気にかかりました。人に感染する可能性もあるので、病院では個室管理されていました。個人だと静かで自由にできるのはいいですが、しかし一人だとかなり退屈です。だからここにいると、家族やお医者さんたち、そして看護師さんが着てくれると、ものすごくほっとしますし嬉しいです。楽しく笑いあったり僕のことを心配してくれたり。皆さんはこれが普通のことだと思うかもしれません。僕もこういうことは当たり前だと思っていました。ですがこの病院に来て一人になって生活していて、考えが変わりました。人と一緒にいるということが、どれだけ楽しいかと言うことを実感しました。
 このことを通して、僕は人が生きていくために必要なことの一つが分かった気がします。それは、
「人は、人から頼りにされないと生きてはいくのがつらくなる」
ということです。

2013年4月7日日曜日

長期入院

僕は日本に帰国して数日後から、杏林大学付属病院に入院しています。腸チフスと、腸管出血性大腸菌感染症というのに、感染したからです。もう入院して二週間がたちます。まだしばらく退院できないみたいです。だから、ブログは書けません。ごめんなさい。

2013年3月17日日曜日

祝 ブログ記事300件投稿!!

皆さん、大ニュースです。僕がブログを書いた回数(投稿件数)が、何と300件を越しました。ちなみに読者人数は、31815人です。平均すると、1件のブログにつき107人の人たちが読んでくださいました。僕がブログを始めたときの目標は、ネパールにいる内に読者が30000人になり、投稿件数が300件になることでした。今日、やっとその夢が叶いました。読んでくださった皆さんのおかげです。本当にありがとうございました。
 今度は、読者人数50000人、投稿件数500件を目指して頑張ります。皆さんの応援、これからもよろしくお願いします!!

2013年3月16日土曜日

号外 今日の読売新聞の夕刊に僕の記事がでます!

皆さん
今日、3月16日(土)の読売新聞夕刊に僕の書いた記事がでます。僕が英語とネパール語を覚えた方法について書きました。ぜひ読んで見てください!



2013年3月15日金曜日

新潟から来た学生さんたちとの村での体験 (2) 学校との交流

 前回から、新潟からネパールに勉強にいらした学生さんたちとの体験を書いています。今回は、村の学校での体験です。
 今回僕たちは村でたった一つの公立学校を訪れました。そして、村の子どもたちの前でダンスを踊ったり、日本のことについて紹介したりしました。
 この学校の生徒は誰も英語が話せません。もちろん、日本のことなど何も知りません。だから、学生さんたちはこの企画のプログラムコーディネーター(僕の英語の家庭教師の先生でもあります)のマヒマさんに通訳をしてもらいながら、日本の食べ物や教育制度、季節などの説明をしました。最後に、僕も一緒に日本の有名な「ソーラン節」を踊りました。
 今回の交流会では、日本とネパールの学生さんたちだけでなく僕もいろいろと学ぶことができ勉強になりました。学生さんたちの発表を聞いていて、僕はこれからはもっと日本の文化に触れていけたら良いです。
 なお、皆さんも言っていましたがこの交流会は大成功でした。

2013年3月14日木曜日

新潟から来た学生さんたちとの村での体験 (1) 村への道のり

皆さん、二週間もブログを書くことが出来ませんでした。前回書いたように、僕は新潟から勉強をするために来た学生さんたちと一緒に、僕の住むポカラの学校で交流会をしたり山奥の村に行ったりしました。その後、また別の日本の学生さんたちがやって来て、電話もつながらないマイダン村というすごく貧しい村に行っていました。そのために、ブログを書くことが出来ませんでした。本当に申し訳ありません。
 前回のブログでお伝えしたように、今回から、何回かに分けて新潟から来た学生さんたちとの村での体験について書きます。今回は、村に行った経験についての第一回です。

 今回の目的地は、ラムズン県の「ガウンサハール村」。僕たちが住んでいるポカラから車でがたがたの山道を五時間。そこから、急な上り坂を歩いて三時間ほどです。登った道は、急なでさらに滑りやすくて大変でした。何回も何回も休憩を取りながら、がんばって歩きました。疲れすぎて、僕はたくさん転んでしまいました。
 到着したのは、夕方五時。村のたくさんの方々が、僕たちをティカ(額につける粉です)や花輪で歓迎してくれました。
 僕は、一年間ネパールに住み、たくさんの客を迎える伝統的な方法を見てきました。この村は、グルン族という民族の村です。しかし僕が前にホームスティした他のグルン族の村とは歓迎の仕方が違いました。同じ民族でも違う習慣があることが分かり勉強になりました。 
 次回は、村での活動について紹介します。
 
 

2013年3月1日金曜日

日本とネパールの違い (2)時間の感覚について

 皆さん、一週間もブログを書くことができず、本当に申し訳ありませんでした。僕は、日本から来た大学生の皆さんと共に、ネパールの山奥の村、「ガウンサハール」という村に行ってきました。このことについては、また後ほどお伝えします。お楽しみに。

 今回は、前回に続き日本人とネパール人の時間の感覚の違いについて書きます。
 皆さんは、約束した時間を守りますか?僕の経験上、日本人が約束の時間に遅れたということは一度もありません。例えば、誰かが8時に家で待ち合わせをするとします。そしたら、家に3分ほど前に到着して待ちます。そして、8:00ちょうどにチャイムを鳴らす。このようなことはいつも日本でどこでも普通に起こっていることだと思います。
 それに比べてネパールは、僕が見てきた限り日本とはまったく違います。ここの人々は約束した時間から何十分、いや何時間も遅れてしまうことがしょっちゅうです。それにそのことを悪いとは思っていないようです。もし、僕たちが時間通りに到着すれば、そこで長い時間待たなくてはなりませんし、向こうの人もびっくりしてしまいます。
 しかし!!僕は日本人です。もしネパールの人たちが時間に遅れたとしても、僕は日本人のプライドをかけて、いつも時間通りにしていきたいと思います!!