2014年2月28日金曜日

3歳の頃の僕


これは、僕が三歳の頃の写真です。今日、部屋を掃除していたらこの写真を見つけて、とても懐かしくなりました。

人気ブログランキング一位!

  今日は、少し前に登録した「人気ブログランキング」について紹介します。

  僕は二年以上前、小学4年生のときにこのブログを書き始めました。その時僕はネパールやタイに住んでいて、そこで見たことや考えたことを日本の皆さんに伝えたいと思いました。びっくりするようなことが毎日のようにあったからです。ブログを使えば、日本から遠く離れたところで起こっていることを、目の前で起こっていることのように伝えることができます。停電が多く、インターネットもつながりにくくて大変だったのですが、できる限り毎日書くように頑張りました。
 

 
  数ヶ月前、「人気ブログランキング」というものがあることを知りました。 それまでは、他の人たちがどんなブログを書いているか気にしませんでしたが、そのランキングを見ると小学生だけでも100人以上が登録していました。そして、これに登録することにより、より多くの人々に僕のブログを読んでもらえることがわかりました。僕は人気者になるためにブログを書いているわけではありませんが、人気がでて、多くの人々に読んでもらうことができれば、うれしいことです。

 「人気ブログランキング」ブログを読んだ人が、記事の上にあるボタンを押すと人気が上がっていく仕組みになっています。
 

 僕はさっそく登録しました。そして、登録したからには一生懸命書き続けて日本の小学生の中でも、僕は1位になろうと狙いました。ですが、僕の力不足もあり、いくら書き続けても最高で2位のままでした。しかし、今日、ようやく1位になることができました!!このブログランキングで1位になると、他のブログよりも目立って、記事を読んでくれる方が増えるようです。

 

 僕はこれからも、皆さんによい記事だと思ってもらえるようなことを書けるように日々努力していきますので、よい記事だと思ったら、ぜひ「人気ブログランキング」ボタンを押してください(ダメな記事だと思ったら押さなくていいです)。
 
 いつも僕のブログを読んでいただいてありがとうございます。これからも、どうぞよろしくお願いします。


2014年2月26日水曜日

僕の親友

 今日は、僕の親友について紹介します。

 岡田凌君です。凌(岡田凌君のことは、凌と呼んでいます)は、まず第一にとても面白いです。一緒にいる時は、電車の中、学校の休み時間、時には授業中でもいつも僕に冗談を言ったりして笑わせてくれます。長い間二人で過ごしても、「もう十分」と思うことはまったくありません。すごく信頼できる親友です。
 次に、凌は野球がとても上手いです。僕も凌も同じ野球クラブなのですが、いつも凌の投げるボールの速さとコントロールの良さなどに目を奪われます。凌の守備のポジションはショートですが、試合の時、交代してピッチャーをやったら、四人連続三振を取るほどの腕前です。
 最後に、凌はとても優しい人です。毎朝学校には稜が僕より先に着くのですが、いつも僕のことを待っていてくれて、一緒に遊びにいきます。優しくて優しくて、一緒にいるとすごく安心します。
 僕は中学校になったら凌とは離れ離れになってしまいますが、凌とは絶対に別れたくありません。これからも、連絡をしたり遊んだりしていきたいです!!
凌!!これからもよろしくね!!友達として、大好きです!! 
 






忙しすぎる

 僕は新しく勉強の計画を立て、オリンピックが終わった昨日から始めました。しかし、かなり量が多くなってしまい今日はブログが書けません。ごめんなさい。明日からがんばります。

2014年2月24日月曜日

人はなぜ、嫌いな人に嫌がらせをするのをやめることができないのか?

 皆さん、人にいやな思いをさせることはありませんか。僕は恥ずかしいことですが、時々好きではない友達に嫌な思いをさせてしまいます。後になっていつも後悔するのですが、いやなことをする瞬間には、その相手の気持ちをよく考えることができません。これは僕の悪いところです。
 

 ところで・・・。

 人はなぜ、嫌いな人に嫌がらせをするのをやめることができないのか?

 このことを最近よく考えますが、その答えが今のところよくわかりません。「誰でも、嫌いな人には嫌なことをしたがるに決まっている」のですが、人を傷つけるのは良くないことです(実際に人を傷つけたことがある僕が言えることではないのかもしれませんが)。相手を傷つけてしまえば、相手は嫌な思いをし、僕のことを嫌いになり、ケンカになったり口をきかなくなったりして、その人との関係は終わってしまうこともあるのです。

 人間が嫌がらせをやめられない理由はよくわかりませんが、相手の悪いところを探り出すのではなく、良いところを見つけてそれをほめるのが、自分にとっても相手にとっても一番いい方法だとということはわかります(誰でも知っている!)。
 僕はこれから、(簡単なことではないかもしれませんが)人に嫌な思いをさせないように頑張ります!!そして、みんなの良いところを見つけて褒めて、みんなから好かれる人間になりたいと思います。

2014年2月23日日曜日

お父さん、外国出張頑張れ!!

 明日から僕の父が、タイとネパールに約一ヶ月間出張に行きます。ネパールとタイと日本を何度も移動します(日本には帰国しても家には一度も戻りません)。さらにネパールでは、山奥の村で大変な生活をしますので「病気にならないで欲しいな」と、心配になります。僕は、父の生活の仕方を知っているので、これからの一ヶ月がどんなに大変かよくわかります。
 お父さん、一ヶ月間頑張ってください。無事に日本に帰ってきてくれますように•••。
↑の写真は、ネパールの国旗です。
Wikipediaから借りました。

2014年2月22日土曜日

英語トレーニング開始!!

 本屋さんに行って、英語の教材を選んできました。これからこの教材で、毎日勉強することにしました。中学の入学式までに、この2冊を終わらせます。

2014年2月21日金曜日

仏歴、西暦、元号、ネパール歴 わけがわからなくなる

皆さん、↑の写真を見てください。これは、一昨年タイで撮影した写真です。僕より上の方に、「2555」と「2012」という数字があります。皆さん、これは何なのか、分かりますか?
これは、仏暦と西暦です。
 まず、左の数字は、仏暦です。仏暦というのは、仏様が亡くなった次の年から数えます。
タイ人は仏暦で考えます。年明けのときは、「2555年、おめでとう」
という意味が、ここに入っています。
右の 2012の意味はわかりますよね。そうです。西暦です。イエス・キリストが生まれた次の年が、西暦元年です。
 ちなみに、日本ではこの年は平成23年。この言い方は元号と言います。
 タイではみんな仏暦を使い、ドイツ人の母は西暦を使い、日本では西暦を使ったり元号を使ったり。
 さらに昨年住んでいたネパールではネパール暦が使われています。
僕はたまに、訳がわからなくなってしまいます。
 
 
 

2014年2月20日木曜日

シンナーを吸う子供たち

 この写真に写っている子供たちは、
「ストリートチルドレン」と言って、家がなく、路上で生活している子供たちです。
 特に、右の子供に注目してください。見えにくいかもしれませんが、この子供は小さな袋を口に当てています。この袋の中に入っているものは、「シンナー」と言う薬物です。
シンナーを吸っている人は、
動き方や表情が変なので、見てすぐに分かります。
とても酔っ払っていると言うか、変な雰囲気です。わかりやすく言えば、お酒を飲みすぎてフラフラしている人のようです。
 僕は、その子どもたちを見て、とてもかわいそうに思いました。
親がいなくてご飯もほとんど食べられない、その苦しさから逃げるために、シンナーを吸って楽になろうとしています。 僕は、ネパールの学校にいる時に、ホームレスの子供達と交流してきました。
 僕は、これからも2年間外国で自分自身の「目」で見たことを多くの人に伝えていきますので、皆さんどうぞよろしくお願いします。

(ソチオリンピック記念は、思わぬアクシデントにより、少し延期します)

2014年2月19日水曜日

重大発表 ソチオリンピック記念

明日から二日間、僕はソチオリンピックを記念して自分にとってはすごいパフォーマンスをして、このブログで紹介します。おそらく、皆さんは笑うか、驚くか、こいつアホかと思うでしょう。お楽しみに。この写真は、http://skatingjapan.or.jp/nhk2012/
から借りました。

2014年2月18日火曜日

修学旅行の思い出 4日目 戦争反対!!

 4日間の修学旅行の最終日。朝は、平和記念資料館に行きました。今までとは違い、みんな見学したいものが異なるため、資料館内で3時間の自由行動の時間を頂きました。
 この資料館では、写真、本物の道具、亡くなった方の皮膚やつめ、髪の毛なども展示してありました。今までは、戦争や原爆の体験を聞かせていただいただけでしたが、この資料館では、もっと分かりやすく原爆について学ぶことができました。
 平和記念資料館でたくさん学んだ後は、佐々木貞子の銅像があるところに行きました。この方は、69年前の原爆の時に、2才でした。原爆が落ちた1.7キロ先の自宅で黒い雨から被爆しました。同時に、貞子さんのお母さんも被爆し、お母さんは体の調子が悪いと言っていたのですが、貞子さんは元気なまま、成長していったそうです。検査でも異常は見られず、6年生の時の学校のリレーでは、1位になるほど元気なのでした。ですが、そのあとだんだん体に異常が見られてきて、病院では白血病と診断されました。それから貞子さんは、お亡くなりになられるまで入院生活を続けていたのですが、その時に、「つるを1000羽折れば、願い事が叶う」と言うことを知り、薬の紙や新聞などを集めて毎日のようにつるを折り続けました。ですが、10月25日、つるは1000羽折れずに、無くなってしまいました。
 偶然、今日(10月25日)が命日で、貞子さんの銅像が建てられていた所には、たくさんの団体客が訪れていました。僕たちは、学校で一人ずつ書いた、「平和への祈り」を一ページにまとめたものを、学年の代表の人が読み、その後にお祈りをしました。祈りながら僕は改めて、「やはり、戦争は絶対にしてはいけない。戦争によって国民を犠牲にするのは、本当にいけないなあ。」と思いました。貞子さんのようなかわいそうな犠牲者がこれからは出ないためにも、僕たちにできることを考えていきたいと思います。
佐々木貞子さんの広島にある銅像です。
写真がなかったので、ネット上の写真を借りました。
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/ja/1/11/Children%27s_Peace_Monument_2008_02LT.JPG

2014年2月17日月曜日

修学旅行の思い出 3日目 戦争の現実を知る

 
  ↓の文章は、僕が修学旅行中に、毎日一ページ、課題として出された「振り返り」の実際の文章です。(修学旅行では、奈良、京都、そして広島に行きました)

 今日は、二条城へ向かうために、朝早く旅館から出発しました。ウグイス張りのかわいらしい音、そして800畳以上ものお城で僕は、「こんなに大きなお城、本当に必要だったのかなあ」と、何とも不思議な気持ちになりました。
 その後、昼過ぎからは新幹線で広島へ行き、平和記念公園や原爆ドームなどを訪れました。戦争の現実、そして原爆の恐ろしさを実感することができました。
原爆ドームです。
夕方からは、広島に原爆が落ちた1945年8月6日に12歳だった、原 ひろしさんの被爆体験を聞かせていただきました。原さんのお話を聞いていると、「原さんはとてもつらくて、悲しい体験をしたというのに、僕たちばかりがいい思いをしていいのか」と、疑問を覚えました。
原 ひろしさんです。
夕食を終え、今度は原さんと同じように69年前に被爆した、栗原 明子さんの被爆体験記を朗読していただきました。話を聞き始めるときは眠かったのですが、聞き続けていると、内容がとても深くて、気づいたら5ページ以上もメモを取っていました。
 原さん、栗原さん、今日はわざわざ僕たちのために悲しい過去について語ってくださり、本当にありがとうございました。お話を聞いていると、お二人がどれだけつらい思いをしたのかが分かりました。原さんや栗原さんのお話を、今後一人でも多くの方々に伝えていきたいと思います。
 さあ、明日はいよいよ最終日です。悔いが残らないように、良い思い出を作ると同時に、良い学習をしたいと思います。
いっぱい学んできました。



 

2014年2月16日日曜日

修学旅行の思い出 2日目 有名なお寺巡り

 ↓の文章は、僕が修学旅行中に、毎日一ページ、課題として出された「振り返り」の実際の文章です。(修学旅行では、奈良、京都、そして広島に行きました)
 

 今日は、東大寺、金閣寺、そして清水寺に行きました。
 広大なる門、そして数え切れないほどの仏像があった東大寺、何度壊されても建て直し、人々に感動を与えてくれたこの場所は、これからも愛されていくことでしょう。 
 
東大寺です。
東大寺の仁王門のあ・うんの呼吸の「うん」の方です。
金閣寺は、今まで見てきたお寺の中で一番感動しました。もしできるのならば、僕が金閣寺に住みたいくらいでした。今日は、すごい大雨だったのですが、ずっと目を奪われていました。その後に訪れた清水寺も、もちろんすごくきれいでしたが、今日見てきた場所の中では、キラキラ輝く金閣寺がベストでした。
金閣寺です。
夕方、ホテルに戻ってからは、清水焼に挑戦しました。清水焼は、京都で作られている陶磁器です。わざわざプロの陶芸家の方がホテルまで教えに来てくださいました。想像をはるかに超える難しさにはやはり驚きましたが、おそらくこれは一生の思い出ですし、僕自身が作った茶碗は僕の宝です。この茶碗をみるたびに、修学旅行のことを思い出すでしょう。
 明日は広島に行き、戦争の現実を知るのと同時に、平和について深く考えてきます。いつかは、世界から「争い」がなくなるために・・・


 

2014年2月15日土曜日

修学旅行の思い出 一日目

 今日から数日間、昨年の十月の修学旅行について書きます。
 ↓の文章は、僕が修学旅行中に、毎日一ページ、課題として出された「振り返り」の実際の文章です。(修学旅行では、奈良、京都、そして広島に行きました)


 振り返り 1日目

  学習面

 一日目は、奈良の石舞台古墳、法隆寺、そして平城京訪れました。僕は、修学旅行で見に行く場所を事前にインターネットで調べず、見てからのお楽しみにしようと思っていたので、バスの中でガイドさんのお話を聞きながら、「たぶん、こういうところかな」と、想像を働かせていました。ですが、本物は、想像とは全く異なっていて、驚きと感激の気持ちで一杯でした。
 重さ約八十トンの石を積み重ねた石舞台古墳、誰があの場所まで運んだのだろうかという疑問がまだ残っています。
石舞台古墳です。
法隆寺は、昔とほとんど変わらないようにかっこよく残されていました。ちょうどこの日は法隆寺で、「夢殿本尊秋季特別開扉」という行事があったので、特別に普通は見られない所を見ることができました。
法隆寺です。
真っ赤で大きな平城京。ドラマで見たことがありましたが、実際の大きさ、美しさに思わず涙ぐんでしまいました。
平城京です。
これから三日間、有名な場所をいくつも見学することになります。今日見た三ヶ所以上のところがあると聞いたので、京都や広島が楽しみです。
 ちなみに、今日のバスの中では、少しざわついていて、僕自身あまり熱心にガイドさんのお話を聞くことができませんでした。明日は、今日よりもっといい態度で多くのことを学んでいけるように、頑張ります!!



 

2014年2月14日金曜日

「中休みマラソン よくがんばりました賞」受賞

 学校から、賞状を頂きました。今回の賞状は

「中休みマラソン よくがんばりました賞」


僕の学校では、もうすぐマラソン大会が行われるため、冬休み明けから、休み時間にグラウンドを走っています。
 僕は、寒さにも負けず、風にも負けず、一生懸命走り続けました。おそらく、僕がこれまでにもらった賞状の中で、一番体力を使った賞状だと思います。

 もし雪が降らなければ、次の月曜日がマラソン大会の本番です。今までの成果を思い切り出してきます。目標10位以内、頑張るぞ!!

2014年2月13日木曜日

恩返し

もうすぐ卒業かぁ

僕はとても幸せ者です。
 
日本にいても、他のどの国に行ってもみんなが僕のことを笑顔で迎えてくれます。僕は芸能人でも有名人でもありません。それなのに、みんなあたたかくしてくれます。

僕の周りは親切な人々でいっぱいなのだと思います。

「恩返し」

最近、僕はこの言葉をよく考えます。僕のためにがんばってくださる人々や親切にしてくださる皆さんに感謝するだけでなく恩返しがしたいです。

僕にできる恩返しは何でしょうか。

家族や学校の先生方、そして僕の命を救ってくれたお医者さんや看護師さんへの恩返しは、一生懸命勉強すること。

学校の友達への恩返しは、残り少ない毎日をみんなと楽しく過ごすこと。

ネパールやアジアの国々の友達への恩返しは、僕が見てきた現実を日本の人々に伝えたり、日本にいる外国の人々が元気がでるようにがんばること。

もうすぐ小学校卒業、そして学校の先生方や友達ともお別れ・・・。
 

2014年2月12日水曜日

自分たちが今いる環境を、肯定的に生きていく(青木奈緒さんのお話から学んだこと)

左が青木奈緒さん、右が僕です。
  先日のブログでご紹介した作家の青木奈緒さんがお話ししてくださったことについて書きます。
 青木さんは、こう言いました。「自分たちが今いる環境を、積極的に認めながら生きていかなくてはなりませんよ。」僕は青木さんのお話しをたくさんメモにとりましたが、特にこの一言が一番印象に残りました。
 僕はまず、この言葉がどういう意味か考えてみました。おそらく、「自分の周りの環境が他の人の環境よりも悪いとは考えず、ありのままを認める」ということでしょう。
 僕は、「この人たちは自分のほしいものを持っている」「有名人が住んでいるような大豪邸に住みたいなあ」などと、よく考えることがあります。ですが、これは青木さんが仰ったこととは、正反対で、自分の環境を否定していることになります。少し考え方を変えて「僕が今生きている環境よりもずっと苦しい環境で生活している人が沢山いる」と考えれば、自分の生活がよく思えてきます。
 僕は、これからは自分の環境を否定するのではなく、積極的に認めていきたいと思います。
 青木奈緒さん、僕によい考え方を教えてくださり、本当にありがとうございました。

2014年2月11日火曜日

この絵、僕はこう見る

 
 

http://iroiroart.exblog.jp/iv/detail/index.asp?s=19084835&i=201301/03/04/c0052304_1056887.jpg より)

 ↑の絵を、僕は次のように観察しました。皆さんはどうですか。


 この絵の二匹は、おそらく昔の武士を元にして描かれているのだろう。しかし武士と違うところは、下半身しか服を着ていないこと、また人間のような姿をしているが人間ではない事だ。
 両方とも、鉄砲や刀を持っていない。右の動物は、自分の体よりも長いタオルを両手に持ち、肩には帯のようなひもをかけている。左の動物は、タオルは持っておらず、帯を両手で持っている。もしかすると、この時代にはまだ武器がなかったため、たまたま近くにあったタオルや帯を使っていたのだろう。
 この二匹は、これから争いをしようとしている。戦争の終わりで、あたりには死体ばかりが置いてあって、この二人だけ最後に生き残ったのだろう。
 この二匹の目には、「勝つまで絶対にあきらめないぞ」という気持ちがみなぎっている。

 

僕の作文が出版された

僕の作文が収録された本が出版されました。
ありがとうございました。

 

2014年2月9日日曜日

作家の青木奈緒さんにお会いしました

青木さんは、僕に本を出版する方法も教えてくださいました。



 すごい方に会いました。作家の青木奈緒さんです。文章を書くことはもちろんのこと、スピーチをするのもすごく上手くて、さらにオーストラリアに留学し、ドイツでも活躍してしていたため、ドイツ語も堪能です。有名な随筆家の青木玉さんの娘であり、幸田文さんの孫でもあり、幸田露伴さんの曾孫です。詳しくはWikipediaをご覧ください。
 青木さんは、僕が書いた作文もすべて読んでくださっていました。
 そして、僕にこのようなメッセージを書いてくださいました。

僕はこれからも、書くことの楽しさを忘れずに、楽しみながら文章を書いていこうと思います。

2014年2月8日土曜日

「貧困」について一緒に考えましょう!

「貧困」について皆さんは、どのように考えていますか?

 豊かな国日本に住んでいると、世界の貧困についてなかなか考えにくいのかもしれません。だから、僕がネパールやタイで見てきたことを何とかして皆さんに伝えたいと最近、よく考えています。

 僕は昨年の三月まで一年間、ネパールに住んでいました。現地の人々は、とても親切でいい人たちばかりでした。しかし、ネパールで一番の問題は、「貧困」です。ネパールは、貧しいせいで「人身売買」や「児童労働」などの深刻な問題が、今でも沢山起こっているのです。一つの例をあげてみましょう。僕の親友のアヌ君の話です。アヌ君は11才。明るくて、勉強もよくできました。でも突然、お金がないために、学校をやめて親戚の知り合いの家で召使いとして働かされることになってしまったのです。アヌ君には、大きくなったらパイロットになりたいと夢がありましたが、おそらく叶いません。父は、「たぶんアヌ君はもう学校には通えずに召使いとしてそのまま大人になる可能性が高い」と言っていました。
 アヌ君だけではなく、同じように学校をやめてしまう子どもは貧しい国では少なくありません。働ければまだ良いほうで、道端でストリートチルドレンになってしまう子もたくさんいるのです。
 僕は、アヌ君の生活を通してネパールの貧困の現実を日本の皆さんに伝えるために作文コンクールに応募しました。そしてその作品は、今では多くの方々に読んでもらっています。
(作文全文は↓からどうぞ)
http://info.yomiuri.co.jp/event/2013/12/post-419.php 読売新聞
http://www.fujitv.co.jp/charity/event/2013_1206zenbun.html フジテレビ
 しかし、僕の作文はまだまだ下手なので、僕の作文だけではネパールの貧しさについてはよくわからないかもしれません。だから、今日はネパールの貧困がわかりやすく説明されているビデオを紹介します。↓をご覧ください。
https://secure.decopa.jp/live/users/cx01/free.aspx
 フジテレビでは毎年チャリティーキャンペーンをやっていて、今年度の支援国はネパールです。フジテレビのニュースキャスターである森本さやかさんが昨年ネパールを訪れ人身売買や児童労働の実態を取材しました。このビデオを見れば、アヌ君が召使いとしてどのような生活をしているか理解できると思います。「貧困」について一緒に考えましょう。
 ちなみに、僕もフジテレビの取材を受けました。↓をご覧ください。
http://www.fujitv.co.jp/charity/event/2013_1206.html
   第40回FNSチャリティキャンペーン
http://www.fujitv.co.jp/charity/report2013/index.htmlより
 

2014年2月7日金曜日

僕の名刺と僕の兄の名刺(どっちがかっこいいと思いますか?)

これは僕の名刺です。
 
一方、これは兄が昨日作った名刺です。

皆さんはどっちの方がいい名刺だと思いますか?僕は僕の名刺の方がずっとかっこいいと思います。
正直に言うと、兄の名刺はふざけていると思います。
海外支援清掃プロジェクト代表???
意味不明。
 

2014年2月6日木曜日

貧困を無くすためには、貧しい人たちを殺す??おそろしい。

 今日学校で、「差別」について、いくつかのグループに分かれて話し合いました。差別と言えば、男女差別、貧富による差別、人種差別、能力による差別、民族差別、障害者に対する差別などがあります。このことで、「どんな現状があるのか」や、「どうすればその状態を変えていけるのか」などを話し合いました。
 僕のグループでは、「貧富による差別」について話し合うことになりました。「児童労働や人身売買が多く行われている」、「住む環境や衣類が満足に与えられない」などのいい意見がたくさんでました。
 そのような中、ある人が、「貧しい人がいなくなればいいのなら、貧しい人たちを殺せばいい」と言ったのです。僕は一瞬、言葉を失い「この人、何考えているの?」と思いました。驚きと同時に怖い気持ちにもなりました。
 もしかしたら、この意見はその通りなのかもしれません。確かに、世界中の貧しい人々を殺せば、この地球には裕福な人たちだけが残り、貧困はなくなるのかもしれません。しかし、もちろん僕は、この意見は大反対です。人を殺すなんて、どんな時にも絶対にやってはいけないからです。
 でも、実際にこういう意見を持つ人もいるのだから、なぜこの人たちがこのような残酷なのことを言うのか考えてみました。
 おそらく、この人たちは「殺す」ということも「貧困」についてもよく知らないのだと思います。
 僕は、ネパールに住み、多くの貧しい人々と一緒に過ごしました。また、僕自身が食べる豚やヤギ、鳥を殺す場面も見てきました。その経験を通して、命のありがたさや、貧しい人々の心の美しさを知ることができました。でも、この人たちはそのような経験がまったくないのだと思います。だから、「命をうばう」ことの意味もわからないし、貧しい人々が一生けんめい頑張って生きているということも想像できないのでしょう。
 この人たちの発言を聞きながら僕は、自分の経験をこれからもがんばって伝えていかなければならないと思いました。そうしなければ、世界がだめになってしまいます。

僕のネパールのクラスメート。みんな家族はすごく貧しいです。でもがんばって生きています!

2014年2月5日水曜日

過去の人気記事(3)ベトナム戦争博物館

2012年10月8日の投稿記事です。



 今日は昨日訪れたベトナム戦争博物館のことについて書きます。
 僕は五年前に一度この博物館に行ったことがありますが、まだ六才だったのであまりよく覚えていません。でも今回はしっかりと勉強してきました。カンボジアではポルポトによる大虐殺について見ましたが、この悲惨な出来事とベトナム戦争はつながっていることがわかり、さらに悲しく思いました。
 この博物館に展示されいる写真はとても恐ろしく、僕は正直に言うと外に逃げたくなりました。しかし、せっかく来たのだから、しっかり勉強しなければならないと思いがんばりました。
 まず、ベトナム戦争について簡単に説明します。すごく難しいのでうまく説明できないと思いますが、許してください。
 ベトナム戦争は北ベトナム対南ベトナムの戦いでした。南ベトナムの仲間はアメリカなどです。一方、北ベトナムの仲間は、中国、ロシア(ソビエト)などです。ベトナムは昔フランスの植民地でした。第二次世界大戦が終わった後、ベトナムは二つに分かれてしまいました。アメリカは共産主事が強くならないように南ベトナムを応援しました。北ベトナムは共産主義の国であるロシアや中国が応援しました。だから、ベトナム戦争は戦争した場所はベトナムでしたが、本当はいろいろな国が参加していました。
 アメリカは南ベトナムの武器などのためにたくさんのお金を使い、兵士もたくさんベトナムに戦いに行きました。戦争はアメリカが仲間の南ベトナムのペースで進んでいきました。ですが、北ベトナムも絶対に負けないようにがんばりました。
アメリカはいろいろな武器を持っていて、とにかく何とかして北ベトナムをやっつけようとしました。例えば、枯葉剤という薬で森の緑を枯れさせ、人を見えるようにしたこともありました。その薬にはダイオキシンという毒が入っていて、体の中に入ると、がんになったり生まれてくる子供にも影響するそうです。
ベトさんとドクさんのことを知っていますか?母親フエは終戦の1年後に枯葉剤のまかれた地域に移住し、農業を行っていた。彼女は枯葉剤のまかれた井戸で水を飲んだという。」と
ウィキペディアに書いてありました。母親というのはベトさんとドクさんのお母さんです。


他にもあまりにひどいことがたくさんありましたが、全部書くことはできません。後は写真をのせるので見てください。こんなにひどいことは絶対にしてはいけません!!








 

2014年2月4日火曜日

<速報> 第50回全国児童才能開発コンテスト 全国第2席受賞

<速報>

受賞の報告ばかりで皆さんはあきてしまったかもしれませんが・・・                    

公益財団法人 才能開発教育研究財団主催
「第50回全国児童才能開発コンテスト」

全国第二席受賞

全国都道府県教育長協議会会長賞  
小学校高学年の部

応募総数10660編


昨日受賞者が発表になりました。命の大切さについて原稿用紙8枚にまとめた作品です。
詳しくはコチラ→http://sainou.or.jp/dl/contest/sakubun1-50.pdf

入試で落ちたことはとても残念ですが、今回さらに作文コンクールで受賞して、少し元気が出た気がします。

これで今年度応募した作文コンテストの結果が全て出ました。
入選作品は4編、落選作品は3編、そして応募忘れ作品が1編(笑)。昨年度はネパールから応募した作品がすべて落選だったので、今年の結果は上出来だと思います。
しばらく落ち込んでいましたが、
ようやくギャグをかます元気が出てきました。




2014年2月3日月曜日

「生きてるって、すごい」(第27回感動作文コンクール受賞作品) 全文公開

 僕が今、喜んだり悲しんだりできるのは、生きているからです。もし命がなければ、考えることも、遊ぶことも、苦しむこともできません。
 僕は、苦しい時だからこそ命の大切さについて、本気で考えなくてはならないのだと思っています。受験に失敗したことはとてもショックです。でも、10か月前、僕は死にかけていました。あの時、生き残れたからこそ、今、悲しんだり、苦しんだりすることができるのです。
 僕が、上廣倫理財団主催「第27回感動作文コンクール」で全国第二席を受賞した作文、「生きてるって、すごい」を紹介します。皆さんも苦労があると思いますが、そんな時こそ、命のありがたさを考えましょう!!

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「生きてるって、すごい」

東京都 学校法人 啓明学園六年 関 慶志
 

  体中のとてつもない激痛と止まらないおうと。僕の悲鳴が何日間も小児科病棟に響き渡った。その後集中治りょう室に移されて一週間、テレビのドラマでしか見たことがないような医療機器に囲まれた。麻薬点滴で痛みは少し抑えられたが、時に意識がもうろうとしてしまう。誰にも言わなかったが、僕は本気で死を覚悟した。「たぶん、もうだめだ」
 父の仕事の都合で3月までネパールで暮らした。そして帰国直後に体調を崩し検査を受けた結果、腸チフスと腸管出血性大腸菌感染症という病気が見つかった。特に腸チフスは日本にはないウイルスだ。すぐにかくり病棟に入院し抗生物質を二週間投与し続けた。入院して三日で痛みは少なくなり、部屋から出れずにひまだった以外に苦労はなかった。
 しかし、ここから悲劇が始まった。退院数日後にいきなりがまんができないほどの激しい腹痛におそわれ、病院へ救急車で搬送されたのだ。検査の結果、総胆管結石と診断された。胆のうにできた石が胆管に詰まってしまう病気だ。僕の年の子どもにはとても珍しく、強い抗生剤を長期使用した副作用とのことだった。肝臓の機能がかなり悪くなってしまっており命にかかわると言われ、翌日に口から管を入れて石を取り除く手術をすることになった。痛みと戦っていた。僕は、
「手術が終われば楽になるよ」
というお医者さんや両親の言葉を信じた。
このイラストはプロの方が描いてくれました。
 残念なことに、手術後は痛くなくなるどころが、逆にひどくなった。あの時の痛みは言葉では表せないほどだ。さらに数えきれないほど吐いた。再検査の結果、手術後の後に一パーセントの確率で起こる急性すい炎にかかってしまったことがわかった。お医者さんは僕に、
「お腹全体が火事になってしまったから消火活動をしている」
と話してくれたが、将来医者になることを目指している僕は、病気のことが少しわかる。だから病名を聞いただけで重症だということがわかった。集中治療室での注射に赤字で大きく書かれている「麻」の意味もすぐに理解した。「本当に死んでしまうかもしれない。」
 「死」を意識したあの時の感覚を説明するのは難しい。しかし一番強く感じたのは「死にたくない」という気持ちだった。「死にたくない、助けて」と心の中で繰り返していた。
 二十%以上の確率で命を落とす状態だったと聞かされたのは後の話しだが、僕は運よく生き残り普通の生活に戻ることができた。通院は続いているが今のところ問題ない。
 僕は、今自分が生きていることに感動している。外国にいたり、入院していたりで学校の勉強が遅れていて苦しいことも悩み事もある。でも、命がなければ苦しむことも悩むこともできないのだ。生きるということは素晴らしいこと。生きていることの感動をこれからも多くの人に伝えていきたい。
 今では僕に命の大切さを教えてくれた病気に感謝している。「生きているってすごい。」

2014年2月2日日曜日

悔しくて、悲しくて涙がとまりません

 1月25日(土)、つまり一週間前、僕はある中等教育学校の入試を受験しました。受験当日は、半年間の受験勉強の成果を思い切り出しました。僕のできる力を100パーセント出し切りました。受験が終わった時、とても安心して、半年間頑張ってよかったな、と思いました。
 そして一週間後の昨日、いよいよ合格発表日です。インターネットの合格発表のページをクリックする瞬間は、心臓の激しい鼓動が。僕の緊張をわかりやすく伝えてくれました。
 合格発表のページを開き、コンピューターの画面をにらみつけながら、僕の受験番号である11022番を探しました。11004、11005・・・11014、11017、11018、11023、11024・・・。
「あれ?僕の番号がない。」
 ふと我に返ったとき、初めて結果が不合格だということが分かりました。何が何だかわからずぼうぜんとしました。
「半年間、受験のためにずっと頑張り続けたのに。」
「絶対に合格すると、自信があったのに」
たくさんの気持ちが、頭をよぎりました。とても悲しく、苦しく、今にも泣きそうな気持ちでした。でも、じっと我慢するしかありませんでした。
 午後からは、僕が優秀賞を受賞した作文コンクールの表彰式に参加しましたが、入試に落ちたことがショックで、心の中は泣いていました。
 実は、今僕はこのブログを書きながら泣いています。涙が止まりません。それほど試験に落ちたことが悔しいし、悲しいです。
 こんなに辛い気持ちで記事を書いたのは初めてです。