2013年12月11日水曜日

核について考える


 先月末、学校で学習発表会が行われました。僕たち六年生は、「核と人間」をテーマとし、学校で学んだことや、修学旅行で訪れた広島で聞いた被爆者のお話や現地で見た資料をもとに、「核」と人間は共生できるのかを考える展示をしました。僕は、原爆が開発されたアメリカのロスアラモスについて調べたのですが、この学習を始める前は、「原爆のせいで広島や長崎で数え切れない死者が出たから、こんなものは絶対に阻止するべきだ」と考えていました。ですが勉強していくに連れ、「核」は医学や電力などに役立っていることを知り、人々の安全を確保した上で「核」を有効に使うべきだと思うようになりました。そのことについて作文を書きましたので、
ご覧ください。



核について学び、伝える

 

学年全員で力を合わせて頑張った学習発表会までの一ヶ月、僕たちは実際に広島を訪れ、被爆者のお話を聞き、核について深く学んできた。広島の平和記念資料館では、今まで見たことの無いひどい写真や、今まで読んだことがないような原爆に関する資料をたくさん見つけた。

「原爆はこれほどに大きな被害をもたらすのか」

と改めて実感した。そして、1945年8月6日の広島への原爆投下や、2011年3月11日の原子力発電所から多量の放射能流出のようなひどい事件、事故が二度と起きてはいけないと深く考えた。このことを学習発表会当日に沢山の方々に見ていただき、僕たちが今やらなくてはいけないことを伝えることができてよかったと思う。

 発表会当日、初めて見る他のグループの展示はどれも素晴らしく目を奪われた。しかし、読んでいる内にあることに気づいた。

「どのグループも核はいらない、核反対と言っている。」

 だが、本当のことを言うと僕は、核はうまく使えば人々の生活に役立つのだから、安全をしっかり確保した上で使えばいいと思う。僕はこの春ひどい病気にかかったが、放射線のおかげでCTやレントゲンなどで体内をよく調べてもらうことができた。また、日本では原発のおかげで電気が十分に確保でき、一日中電気を使える。もし原発が無かったら、僕が去年住んでいたネパールみたいに停電の毎日で大変な生活を送らなければならないかもしれない。だから、安全をしっかりと確保し、戦いなどに使わないと人類が約束した上で、原子力をうまく活用していくべきだ。

 広島から帰ってきてから、僕たちがすべきことが二つあると考えた。一つ目は、原子力や核と僕たちの生活との関係をもっと詳しく学ぶことだ。そして、もし一生懸命勉強して、それでも本当に核が必要ないと判断したら核をなくすための方法を考えたい。二つ目は、一人でも多くの人に核を悪用することがどれほど人類に被害をもたらすかを伝えていくことだ。広島や長崎で数え切れないほどの死者が出た。核をこのように使うのは最悪だ。核を人類のために有効に使えないとしたら、いつか核のせいで人類が絶滅してしまう。そうなってはいけない。